あるがままに





季節は冬から春へと移りゆく。それは遅かれ早かれ平等に。
この雪深い里にも春は舞い降りる。そして、その中で、この春から旅立とうとする者が一人。

「……なぁ、やっぱりいっぺん家に寄ってきなよ」

その旅立つ者を引き止めようと、子が呼び止める。

「いや、ずいぶん長居しちまったからな。一刻も早く出た方がいい」

呼び止められた者は蟲を寄せ付ける体質を持ち、一つの場所に留まれぬ者。その者が訳あって長期滞在したこの土地。このままだと何が起こるかわからない。

「……そんなの、姉ちゃんがさみしがる」
「……」

確かに、スズにはさんざん心配させ、世話になった。大変感謝しているよ。だが、さみしがるのは、スズだけか?お前はどうなんだミハル。?
その男、ギンコはそう思いながらも言葉を繋ぐ。

「世話になった、と言っといてくれな」

そう言ってギンコは子の、ミハルのもとから歩き出す。
しばし進んだ先で、ギンコは再びミハルに呼び止められる。

「なあ、また来るよな」
「……」

…また来るよな、か。どいつもこいつも皆、なぜこんな俺にそう聞くのだろうか。

ギンコが関わりを持つ者の殆どが、彼との別れ際に決まって、また来るよな、と聞いてくる。
その言葉も、そういや一番最初に言ってくれたのは、あいつだったな。
ギンコの脳裏に一人の医家が浮かぶ。

「さあな、まあ。冬じゃねえときにな」

冬の寒さの中、温もりを知ってしまうと戻れなくなるから。

「……何で!?」

当たり前のようにミハルは聞き返す。

「……人間も冬は弱っていかんからな」

あぁ、そうだ。温もりを知ってしまうと弱くなるんだ。

「……?」

今のミハルには到底わからないだろう。しかし、いつかきっとミハルにも分かる日が来るだろう。
まったく、俺にその弱さを与えた奴は、弱さを知る温もりを与えてくれた奴は、今頃何をしてるいるのかね。

その者の姿を思い浮かべ、ギンコは行き先を決めた。



去っていくギンコの姿を見送っていると、ミハルの傍に女が一人駆け寄ってくる。

「ミハルー!もう探したんだよ!」
「あ、姉ちゃん」

ミハルの姉、スズだ。

「こんなところで、いったい何を……」

言葉を切って、スズは去り行くギンコの後ろ姿を見つける。

「家にいっぺん寄ってきなよと、言ったんだけど…」

気まずそうにミハルが声をかける。

あぁ、やっぱり行ってしまった。


スズは、ギンコは自分に別れを言わず旅立つとだろうと思っていた。 自分でもよくわからぬ感情をギンコに対して抱いてしまったから。そして、スズ自身もその方が良いと思っていた。

「俺言ったんだ。姉ちゃんがさみしがるって」

姉思いの優しい弟は、この姉の想いに気がついていたのだろう。弟にまで気が付かれてしまっているのならば、ギンコがその想いを見抜けぬ訳がない。たが、スズはその想いを告げる気はなかった。
そう、スズは見てしまったから。長い眠りから覚めたギンコが、胸元から出した護り袋を大事に、大切に握りしめているところを。
きっとそれは、ギンコの大切な人からもらったもの。その人との思い出が詰まっているもの。そこには私が入り込む隙なんて無い。

「さみしくなんて、ないよ」

スズはそう言った。きっとギンコを必要とした時は、またここへ来てくれると思うから。別れではないのだから。

「あの、さ。姉ちゃん」
「ん?なんだい、ミハル」
「俺。夢ができたんだ」

夢ができた、遠くにほんの僅かに見えるギンコの後ろ姿を見ながらミハルが言う。

「俺、蟲師になるよ」
「そう……」
「驚かないの?」

あっさり受け入れるスズに、思わずミハルが聞き返す。

「ギンコと話すあんたを見ていて、いつかはそうなるんじゃないかと思ってたよ」

そう、蟲が見えない私にはわからない世界に飛び出していくのだと。


「……姉ちゃんには、夢ってないの?」
「夢?」

そう聞かれてスズは困った。いきなり夢と聞かれても、、、だが、すぐに頭にある事が浮かんだ。

「そうね、あんたが立派な蟲師になって、ギンコとここに帰ってきてくれることかな」

そう、またギンコと楽しく話すミハルの姿が見たい。

「じゃ、俺。今度ギンコさんに弟子入りするよ」
「あの人の弟子入りは難しいと思うよ?」
「それでも、俺。絶対に弟子になって、ギンコさんをここに連れてくるよ。そしたら姉ちゃん喜んでくれるだろ?」

なんと姉想いの弟だろう。スズは思わず涙が出そうになった。

「そうね、楽しみにしてるわ」

そういうのが精一杯だった。


「なあ、姉ちゃん。冬になると弱くなるんだってギンコさん言ってたんだけど、なんでかな?」

ミハルはギンコとの会話の事を聞く。
冬になると弱くなるだなんてギンコは言ったのね。それは温かさを知っているからじゃない。
ふふっ、とスズは笑った。

「ミハルにもいつかわかる日が来るよ」
「……?」

でも、少し羨ましいな。ギンコさんにその温もりを与えられるその人が…
春。それは新たな出会い、新たな旅立ち、新たな夢をもたらせる季節。



「へっくしゅっ!」
「あ、先生風邪ー!?」

子らに囲まれ、縁側にいた化野が大きく、くしゃみをした。

「んー?いや、何だろうな。急にくしゃみが」

すると化野を囲むようにしていた子の中から、ある娘が、

「あたしね、おっきくなったら先生みたいなお医者さんになるの!それが夢なの!そしたら先生の病気全部私が治してあげる!」

一人の娘がそう言うと、

「あ!ズルい!」
「わたしも!私の夢もお医者さんになる事!」
「俺も!」

と、次々に子らが騒ぎ出す。

「あー、わかった、わかった。みんなありがとな。だがすまん。今日は少し静かにしてくれないか?」

化野は閉じられた襖を見ながら子らに言う。

「誰か寝てるの?」
「ああ、俺の大事な患者だ」
「そっかー」
「先生の患者さん起こしゃダメだよね」
「なら、私たちむこう行って遊ぶよ」
「悪いが、そうしてくれるか?」

化野が子らにそう聞くと、うん、と快くその場を立ち去った。その子らの姿を見送り、化野は静かに襖を開け、中に入る。

「…ん…」
「ああ、起こしてしまったか?」

そこには布団が敷かれ、ギンコが寝ていた。

「いや、もう起きていたから」
「そうか」

スッと化野はギンコの傍に座り、顔を見る。

「だいぶ顔色、良くなったな」
「ああ、いつもすまんな」
「毎年、お前。一体冬はどうしてるんだよ。春になると必ずフラフラでここ来るよな」

ギンコは春になると、必ず化野の家に顔を出していた。

「迷惑か?」
「いや、そんな事はない。むしろ来ない方がが心配で困る」

そう言いながら化野はギンコの頭を撫でる。

「なあ、お前。冬はどこに居るんだ?どうしてるんだ。心配で心配でたまらんよ」
「……心配してるのなら、来た日に押し倒すのは、どうにかしてもらいたいものだが」

昨晩、ギンコが化野の家を訪れると、化野はそのままギンコを抱いた。

「嫌だったか?」
「嫌ではないが、、、」
「とにかく、いつも俺はお前が心配でなぁ。だからお前がここに来ると、お前以外の事は何も考えられなくなるんだ」
「化野…」
「冬は寒くてたまらん。身体も心もな。だから、春にお前が来ると、恋しくて欲しくて堪らんのだよ」

スッと化野の手がギンコの頬を捉え、顔を近づける。そしてギンコの口に化野の口が重なる。

「な、このままいいか?」

今は日中、まだまだ日も高い。

「こんな時間からやる気か?」
「お前がいる時は、どんな時でも大切にしたいから」
「……好きにしろ」

そう言い放つも、ギンコの顔は耳まで見事に真っ赤だった。


「んっ、、、」
「すまん、少し急ぎすぎたか?」

己の中に入ってくる熱さにギンコが息を付く。

「ぁ…へ、いきだ」
「そうか」
「あ、ぁ…っ」

了承を取ると化野の動きは激しくなる。

「あっ、ゃぁ…っ、は…」

ギンコは化野に突かれるがままに声を上げる。


「なっ、ギンコっ。今度は冬に来いよ」
「あ、ゃ…冬はっ、嫌だ」
「なんで、冬は嫌なんだ?」
「ん、…っ、お前のっ、温もりは、ぁっ、…俺にとっての、春っ、だから……」

ギンコにとって化野のくれる温もりは、冬の厳しい孤高の白銀世界から、春の温もりを得、色彩溢れる華やかな世界と移りゆく季節と同じものだった。



「なぁ、化野」
「なんだ」
「お前、夢ってあるか?」

情後、再び布団に身体を横にしたギンコが聞いた。

「夢?さっきの子たちの話聞いてたか?」

ギンコは頷く。

「夢かぁ。そうだな、あるぞ」

嬉しそうな顔をしながら化野は言う。

「俺の夢はな、皆が普通の生活をおくる事だ」
「普通の生活?」
「そうだ、普通に笑って泣いて、時に怒ったりして、今ある幸せを感じてくれればいい」

もちろん、それにはお前も入っているのだからな?と、化野は言う。

「それが、お前の夢、か…」
「ああ、そうだ」

ギンコは化野の夢に、自分が含まれていることが嬉しかった。

「なぁ、お前の夢はなんだ?」
「俺の夢…さて、なんだろな」
「なにか、今思う事はないのか?」
「そうだな…………ならば、」

ギンコが何かを言いかけたその時。

「化野先生ー!?ちょっと来てくれませんか?」

外から化野に助けを請う声が聞こえる。

「ああ、わかった。すぐに行く!」

ギンコはそう即答する化野の顔を微笑ましく見ていた。

「ちょっと出てくるな、ギンコ。お前はそのまましばらく寝てるといい」
「ああ、そうさせてもらうよ」

バタバタと化野は医療道具を揃え、外に飛び出していく。その出かけ際に

「帰ってきたら、ギンコの夢。教えてくれよな」

そう言って、己を呼んだ者のもとへと急いだ。

一人部屋に取り残されたギンコは笑っていた。

…全くあいつは。

化野の夢は、ギンコの幸せをも願っていた。

敵わねぇな。

近くにあったシャツを手繰り寄せ、煙草を取り出し灯を点ける。

俺の夢ね…?

ふぅーと、煙を吐きながらギンコは笑った。

俺の夢は、あるがままに、こんな日常を送る事かね。

化野の家でギンコは一人、そう思った。?













カイリ様から頂きましたLEAVES 8周年を祝って下さっての作品ですっ。

冬に温もりから逃げるようなギンコの姿は、いつもいつも私も気になっているのです。それにしても罪作りな…などとも思ってしまうのは、スズミハルの姉弟の様子ですねっ。しかし私は超絶化ギ贔屓。やっぱり化野とギンコが互いで互いを選んでいるところが嬉しいのでした。

お忙しい人だというのに、こんな超大作を贈って下さり、本当にありがとうございました。ほぼ蔭ながら応援しておりますので、無理をなさらないように、しかしカイリさんの作品を待っている人々を、これからも楽しませて行ってほしいと思っております。私も待ってる、期待の作品v




2014/04/12