『 光 壁 』






  息、が
  出来ね・・・・ぇ

っっ、と空気を求めるその、
自分の呼吸に瞬時に覚醒した。



横臥の、
その顔前に、くたりと凝った布きれ。
僅かに湿気を残し。それ、が目元から鼻先を覆うように床に落ちている。

身上となった左手でそれを除け。
半隠れていた視界が開け、目に映るのは板張りの壁。
目を巡らせ。
   ・・・・・・そう、か。
三畳分ほどの狭い板天井。壁も平板1枚の薄い造り。

宿代に当ての少なさを見透かされ、棉のつぶれた布団を押し付けられた、
そこまで、して此処に宿らざるを得なかったのは

  まだ・・・・、
  やべぇ、な。

自分が
一歩と進めぬ態、になった
から。




健脚であれば半月程の道のりを、
足を摺る如に遅々と。
であっても一と月近くを費やせば、そこ、まであと僅か
と見えた宿場町の外れで。

背の裂傷は血を止め、鬱血痣とかさぶたに変わり。
仰臥には未だ無理。なれど、身起きに動くことには支障もほぼ無くなった。
「少し顔色もよくなってきたのでは」と、気遣う声の色が安堵の気配を濃くしてきたのを、
「もう、大事ねぇよ」 
と笑ってやった、

その矢先。




事の詳細はほとんど記憶にない。が、
無理を押しても進もうとした己を相当な剣幕で叱責する声
茶屋先に座らせ「絶対に動くでない」 と言い残して小走りに去る草履音
いか程に待ったか抱えるように連れて来られた
こと、は、半ば覚えている。


左手に握り込んだ布、
は、政之助が己の額にのせていたものと知れる。
 何度と、
 ひやりと心地よいその感触に
 輪郭が定かでないような熱の籠った体が、
 すぅと楽になった、
  
 ような。 


水気を失い横臥の額には貼り付けず
に、落ちた
てぬぐい。



木賃宿かそれに准する、
空きのない、そこを無理を願ってあてがわれたのであろう、
壁際には行李やずだ袋が積み上げられ、板隙間から漏れ入る月明かりに漂う微埃がちらちらと。
まるで

 いや・・・・ここは、
 違う。

 夜毎に、
 声を漏らすな、抵抗するな、と口を塞がれ
 ささくれが背を刺す板床に押さえ付けられていた、


 あそこ、とは。




肘を突き顔を上げ、
 くらり、と回る不確かな視界、
弥一は、身をひねり背後を見遣る。

枕脇に置かれた水盤。
一間ほど退いた薄闇の中に、
揃えた膝に拳を握り、
自分に面座す

政之助。


静かに次ぐ呼吸、と、幽かに揺らぐ顎先。

  寝て、いやがる。

今宵は一切休まない、
横になるつもりもない、
それが証拠にこの狭い部屋内に、伸べられた布団は
弥一自身が伏せていたその、一組、のみ。

何度そんなことがあったか、
等と数えることすら、もう。

   何だって、そう、なんだ。
   お前は、
   
   あの時。
   俺に、
   拐かされて、
   なし崩しみてぇに、仲閒、になっただけの
   お前、は

   最初に「守る」 と約束した、
   ただそれだけ、のために
   全部、を
   捨てちまった

力の込め所すらあやふやな腕
で床を押し、起き上がり
弥一は、
政之助の正面に、膝付く。

小さな高窓と板破の隙間から射す月明かり
が、斜めに、二人の間を隔てる。


己に真っ直ぐに注がれ続ける、  
   なれど今は瞼に閉ざされた、その、
澄んだ揺るぎのない、黒、

に、近づくことを、
埃ですら輝かせるその銀光が、

許さない、か、の。


っく、と息を呑んだ弥一の気配に気づいたか、

政之助がふっと、顔を上げた。  

己の顔を凝視、している弥一に
きょん、と一目を張り
寸後
「何を、して・・・・布団に戻られよ。体を冷やしては」 僅かに眉根を寄せ、
膝上に拳握っていた手を、す、と上げる。

その掌が
光の壁、を越え。
身に触れる、
瞬間、

弥一はぐっと後退こうと、し
自身を支えきれずに姿勢を崩した。
「弥一どのっ」 支えよう、と、
上げていた右手を更に伸ばした政之助の、
その手首を捉え

政之助の前傾の勢いもろともに、倒れ、
背、を、まともに打ち付ける。

「っって、ぇ・・・・」
「大っ、丈夫、でっ」 頭上の声に顔を上げ、
右腕を掴まれたまま馬乗りの如に己の身に覆い被さる、その気ぜわしけな眼差しを、
間近に。

  おめぇがっ
  そんな手、で、
     そっち側、に在る、みてぇな
  そんな手、で

  触れようとする、から

「だから言わんことではない。未だ熱も高い、」 袖布越しの弥一の掌、の熱さを気遣い
政之助は
「先を急ぐ気持ちは分かるが、もう此処まで来たらさほどの差はない。今は早く治癒することを・・・」
弥一の背首元に左手を差し込んだ。

助け起こす、その。

半身を起こされた、距離
「おめぇっ、はっっ」 に、ぐいっと、その襟首を握り込み
弥一は
「何だって、そう、なんだっ。一体ぇ何が、そうさせるっっ」 政之助の首を絞めんばかりの、
勢いで
「守る、と、言ったからか。言葉を違えぬ、という矜持かっ。俺は、そんなもんでお前を縛ろうとしたわけじゃ、」
っ、
と息を切らせ、
こふこふ、と、咳き込んだ。

まま、
荒く次ぐ息、
ぎり、と上げた貌の
熱に焦点の甘くなった瞳の奥に、政之助を射んばかりの。

「何が、等と・・・・・」
冷たく凍えた空気の中、
「ただ、私自身が」
荒ぶれる呼吸を諫めるように
「そう、在りたいと。 何か、を求めてではなく。ただ、弥一殿を信じ共に在りたい、と思ったから」
静かな声が、
「却って、己の想いが弥一殿の邪魔にならぬか、と」


「だから・・・・。おめぇの、信じる、のは何なんだ」
次第両手の力が抜け、
黒い身衣に半ば縋るかの、
「俺、は」

「おめぇ、を、信じようとしねかった」
  
   『五葉』を。
  やっと手に入れた、筈、の、それを“守る”と、
                   自分一人、で守る、と
 
 決めて

  けれど、
  それは俺が勝手に決めた、こと

  バラけた五葉、がどうなろうと
  それぞれに、
  自由に、“おもしろく”、
  生きていきゃいいと

  「皆もそれぞれ」
  「西の地で」
  「また 共に」

  そんなことを
  考えていやがるなんて。
  
  お前、が

  其処に、待つ、なんて

      期待、なぞしていい筈が。
      


  それを、
     
  そうやって、切り離そう、とした、
  それ、を

 
  だから。
  習いの通り標的にされる新入り、の
  組み伏せられて、口を塞がれ、
     そんなものは
  抵抗、なんぞしようとも思わなかったさ
  
  また“ここ”へ戻った、と

  “流されて”在るこんなざま、
  似合い、じゃねぇか、
  と。
  
  

「弥一、を信じきらねかった・・・また、同じ轍を踏んで」
   自身すらをも見かぎって、
   汚泥に沈もうとした、
   俺、を

   お前はどうして

「何も疑いもしねぇで。当たり前みてぇに」
徐々に項垂れ呼気に交じる
「信じる、なんて言いやがっ」 言葉は、
以上には音にはならなかった。

ぐ、と
引き寄せられ、

「弥一殿が、何を思うているのかは、私には分からぬ」
こめかみにかかる静かな、
「なれど、大丈夫、と。信じるに何も障りない、と、私が。思ったのだから」
声。

「だ、からっ」 黒い肩口に押し当てられた頭の中で、
「おめぇが俺を信じる、っていうそれを、俺が」
熱を持ったままの脈が波動を鈍く響かせ、
「信じられねぇっ、ってっ・・・・何もねぇ、こんなっ俺、をっ。おめぇは、こんな俺に絆されて、全部を捨てちまった、のにっ」

 
  橋のたもとに、すら、と立つその姿を見た瞬時に、
  もう、疑うべくもなく
     失くならない、と“分かった”
  筈の。

  けれど身を覆う熱が、
     時としてぶり返す夢が、
  確かなのか、と、揺さぶりをかける

  失うに易いモノ、ではないのか、と。
  
  縋ろうと、求めればなお、
  一層に。

「布団に戻ってくだされ」 再び激高し始めた、細い身体に、
「やはり本調子ではないのでござろう。熱で、諸々に浮かされて、おかしな事を考えてしまうのでござるよ。良く休ん」
以前、の口調に戻り、

幼子をなだめる如に。

   そうか、今俺は、おかしい、のか。
   なら、
「政」
   らしくねぇこと、をしたって、

「だけ」
「で下さ、・・・・は?」
肩ごと抱き込まれていた、
「抱け、よ」胸に腕をつっぱり弥一は、
僅かに広まった
政之助との隙間、に首を巡らせた。

「信じさせろ。政」
見上げるように、視線を、
「お前が、信じるって言う。この俺を。何があってもその気持ちが変わらねぇって、それ、を」
   俺自身、に

「弥、一殿。やはり相当に熱が回って」
「それとも、やっぱ、無理か」 くつくつ、と、喉が震える。
「俺は、お前が“信じ”てるような、綺麗なモンじゃねぇ。この身体だって・・・・・・お前が想像つかねぇような事、にまみれてんだぜ?」

  人を殺めた数、だけじゃねぇ。

  お前が決して、
  “来”ないような、
  その目が見るには澱み過ぎた、真っ暗な、
  
漏れる声までもが揺らぐのを、
気づかれぬようにと肘に力を込めて突き放そうとした  
「それで、納得がいくのなら」
身体が逆に、
「っ」 思わぬ応えに強張る背を
「想像、は・・・つく。牢屋敷で、何が行われ得るものなのか。或いはもっと・・・・白楽に於いて、何か、があったのか、をも」
拘束する如に交差した腕の、その片掌が、うなじから後頭を辿る。
「で、あったとしても。それ、を弥一殿自身が、何と、思っていようとも」
一句毎に、嚙み含めるように、
「『五葉』を・・・皆、を。己が居ずしての何の在り場所であろう、というのに。自らの身よりも守ろうとした。それこそが、弥一殿、であるのだと」
其処まで、で、
政之助は言葉を、切った。







天空は何時の間に廻ったか、
月の姿は窓を外れ、光は輪郭を失いぼんやりと漂う青白い光に沈む
静か、の中

言葉未満の、
なれど、音、には色濃い、
とぎれとぎれの荒い呼吸が、
狭い室内に満ちる。

仰け反り床に背倒れかかる、度に、
抱き起され、
政之助の腿上に抱えられる態で弥一は、

ひたすらにその首元にしがみついていた。

追い立てられるような、
躰が不確かにすら思える熱さ、を発するものが
何処
にあるのか、すら。
  
「辛ければ、声を」 耳に注がれる政之助の、
掠れた息に、
「知らっ、ね、ぇっ」 縋り処を求めて、更に腕に力がこもる。

  声をあげるやり方、なんざ
  
  荒風を。
  逆らわず、入り込ませず
  やり過ごす
  だけの。
  
  
背を支えていた
左手で、背骨一つ一つなぞり下ろし
肉の薄い腰を支え、

追い詰められ
痙攣する細い
左背肩の楓の
痕、を
「っふ、、、、、ぅ、つっ」
政之助の右手指が、正確に、なぞった。



水から上がったばかりの如に全身で息を継ぐ、
弥一の
腕を己の首から解き。
左顎元に唇をあてがう。

鎖骨から、肩口、二の腕、を辿り
肘に二重、の。
「これ・・・」 呟きと共に一度、
「程に、美しいモノは」 離し再び静かに、
「有り得まい、よ」 墨色に、
口づけ、

かくん、と。広い肩の上に、
弥一の額が
落ちた。







宵際に急ぎ“宿”入りした、部屋の。
夜明けて陽光の中仔細を見れば、煙出し窓に対面の、
広く間取った採光窓。

開け放ち、

入り込む
  心持ち冷たさを含む、さやかな風。
  街道裏に並立つする木々の葉ずれの音
  鳥の鳴き交わし

うっすらと上げた瞼、再びへろりと綿布が落ち、
半塞がりの視界。
中央に、
   肩をすぼめた
政之助の座姿。

はたり、と視線がぶつかる。

「っ・・・・・・無理を、させた」 ひくり、と肩を跳ね、
「やりよう、、、と言うか、初めて故・・・・加減、が分からず、」
じ、と、
己から逸らされぬ弥一の眼差しに
徐々、不明瞭に口ごもり

終には、すぅと首から赤くなってゆく。

   夜の内の。
   あの、    は、
   一体ぇ・・・・・。

ふ、と
思わず、漏れた笑。

に、
きゅう、とうなだれるその
顔を見上げたまま

「政」 名を、呼ぶ。


「手ぬぐい」
「、は?」
「さっきから。これが」 顔前の濡れ布に、ちろ、と併せた視線を
寸後 「役に立ってねぇよ」 政之助の顔へ戻す。

「あ、すまぬ。何度か試みてはいるのだが落ち易いのはどうにも・・・。と雖も仰臥は背傷に障る」
途端、す、と面を引き締め、四つ這いにじり寄るのを

「手が、いいんだが」 瞼を伏せ、

   この病。未だ、
   治った気がしねぇ

   なら“らしくねぇ”まま、でも、
   構わねぇ、かも
   な。

「どうせまた落ちる。だったら、おめぇの手、冷やして当てといてくれ」
   
つらつらと、
変にふわつく思考を、追って
淡くほどけてゆく意識の

遠く街道の賑わいの音の内に

「・・・・・・承知した」 身近く、に
揺らぎのない応えの声を
聞いたような。




現を手放すその際に

ひやりと額に。








   終




14年01月






 とんでもないことに、惑はこの素晴らしい作品を、公共交通機関内で読んだ。しかもそこは薄暗かった。必死、という意識はしていなかったが、もう必死で目を凝らして読んだ。そしてこの内容、である。

 囚われた。当然だ。自分が何処に居るのかよく分からなくなった。息苦しくなった。誰かの手がどこかへ触れる感触がした。誰かに自分が触れる感触がした気もする。見えていない光と、闇との境が見えた気がした。

 読み終えて、しばしのちにこれは作品なのだと思い、凄い、とアホのように思った。惑もさらいやを書く人だけれど、目指したいという思いと、目指してはならぬという想いがした。今もその気持ちが時々蘇る。この世界はこれを書いた方のものだ。犯してはならぬ、とか。そういう気持ちだろうか。贈り物として頂いたので、そりゃ勿論大喜びで「わたしのもんだーいっ」て思っているのだけれど、そことは違う意識で。

 随分たった今、自分なりの、を目指せばいいのだと思っている。手本にしたいけれど、そうではなくて自分なりのじゃなくっちゃ、届かず苦しい想いをするよな、って。そんなふうにすら思った、作品なのです。

いやいや、頂いたのです。私のもんですっ。わーいっv 
月さま、本当に、本当にありがとうございましたっ。