2013年の惑の誕生日に、こいもさんが書いて下さったイラストです。もうなんか言葉を失いました。先にオチを申しますと、あまりに見惚れ過ぎてこのイラストにてお話一つ書いてます。光と影、生と死、過去と未来、優しさと痛み。様々なものをこの一枚の絵に感じました。こいもさん、ありがとう、ありがとう、掲載するの遅れてごめんなさい。そしてありがとう!


13/07/17


blogにも載せてますが、下にノベル転載しますねv






「生命の輪」



 きらきらと、光のような音がする。いや、実際に何か聞こえるわけではなくて、そんな感じがするだけだ。例えれば、木漏れ日の「音」。

 そしてその木漏れ日と戯れるように、数種の蟲が光の中を泳いでいる。雫みたいに上から降り続く、小さな点のような蟲達。ひも状に捻じれたり伸び縮みしたりしながら、木々の枝の間を揺れる蟲。足元の草の中に潜む、蛇に似た目立たない蟲。
 
 かと思うと、頭上を覆うほど大きな、平たいエイのような半透明の蟲が、光を透かしながら悠々と過ぎて行く。

 ギンコはそれらを暫し眺めてから、履いていた靴を脱ぎ捨てて、日の当たる草の上に素足を下ろす。ちり、と、一瞬熱いほど。けれどその熱さすら、酷く心地いい。

「来たぜ」

 ギンコは軽く上を見上げて、ぽつりと言った。温かな草を踏み、視野のあちこちに、様々な蟲の姿を映しながら。

「あんたの言う通りだったよ。ここに来たくなった」

 傍には誰もいない。遠く見回しても人の姿は無い。野鼠や、小鳥たちはそこらにいるが、それ以外は誰も、何も…。

 木箱を背から下ろして傍らにそっと置き、ギンコは温かな地面へと腰を下ろす。手で草を撫でると、そこに隠れていた蟲が、花蜘蛛に似た姿でまろび出て、慌てて逃げて別の草の間に紛れていく。

「あぁ、ここは、本当に…『蟲の棲む処』だな…」

 ありとあらゆる蟲たちが、互いを許し合いながら僅かずつ存在する、不思議な空間。遠い過去を懐かしむ様に、ギンコは言った。思い浮かべているのは、長く伸ばした真っ白な髪と髭、笠を深く被った一人の老人。
 
 何年前になるだろう。




 あの時、優しげな目で、その老人はギンコに見下ろしていた。

 金稼ぎのためだけ、蟲寄せさせるためだけにギンコを連れ歩く、そんなろくでもない蟲師ばかりに次々と、引っ張り回されていたその頃。出会った、不思議な老人。仙人のような恰好をして、この山の麓で会ったギンコの手を、いきなり引いて歩き出したのである。

「駄目だよ、逃げたりしたら、ぶたれる…!」
「いいから来なされ。あんなに酔うとるのじゃ、暫く起きやせんわい」
「でも…っ」
「でももカカシもありゃぁせんわ。お前さんのことは聞いとるよ。立ち止まっとると、そこを蟲だらけにするのじゃとな? それで災いの元とやら。蟲の巣窟の元とやら、の」

 巣窟、と言いながら笑った。笠と白い髪と髭と、それらに覆われた顔が、にいやりと、酷く嬉しそうに楽しそうに。

「いいのじゃないかのぅ、蟲の巣窟。蟲の巣。蟲の集う場所とな。つまりは命の群、生命の寿ぐ場所じゃろう? 蟲が集まるのが禍じゃと、どうせ言うとるのは人の勝手じゃ。人以外がそれを言うのを、お前さん、聞いたことがあるか?」

 きつくギンコの手を握り、離さぬように引きながら、老人はそう言ったのだ。聞いたギンコは、正直、何を言われているのか分からなかった。

 ずっと禍だと言われてきた。
 蟲が集まってきて、人々は苦しんだ。
 誰でもが皆、不幸になった。 
 そうして俺は、憎まれてきた。
 なのに…。

 老人は言う、揺るぎなく。その足元に、肩先に、蟲が寄り、蟲が擦り付き、楽しげに戯れるように見えていた。

「いいか、よぉく聞いておれ。命あるものは、どの生き物も、皆、喰うたり喰われたりじゃ。人だけがそれを避けて通っていく謂れなぞないわ。他の命を糧にして生き、また自分の命が喰われて、他の命を生かし、生かし生かされて、輪になっておるのじゃ。その輪から外れたものは、やがて滅びゆく」

 そんなふうに話す老人と、老人に手を引かれて歩くギンコ。いつしか二人は、燦々と日の差す場所に来ていた。木漏れ日が眩しい。緑に透けて、きれいで、そこここに蟲が居た。湧くようにあちこち、どこにでも。漸く立ち止まった老人の目が、慈しむようにそれらを見ている。蟲と、木々と草と、光と、そしてギンコとを。

 老人は、幼い子供のような、どこかやんちゃな仕草で草履を脱いで、ほい、ほいとそこらに飛ばし、日の当たる草を踏む。ギンコがぼうっと見ていると、ものも言わずにギンコの足を掴み、その履物も奪い取ってしまった。

 空気の中にも光の中にも、直に踏んだ草の中にも、その下の土にも、激しいぐらいに強い蟲の気。それに直に素足を触れているという不安と、紛いようも無い、安堵と。

「ほれ、のぅ、わしもお前も輪の中だ。生き物は皆、同じ輪を辿って生きている。じゃからの、蟲が寄るのが禍じゃ、寄せるのが罪じゃだの、おかしな話じゃわい…」

 老人は笑っている、にこにこと満足げに。視野のあちらこちらに見える蟲たちを眺めて、ただ笑う。

 ギンコは懸命に、老人の話をわかろうとし、分かろうとし、けれど結局、良く分からなくて首を横に振った。罪だと、禍だと言われ続けて来たから、いきなり真逆のことは頭に入ってきてくれない。老人はがっかりした様子も無く、変わらない笑みで頷いた。

「ちぃと難しかったかのぅ。まぁ、よかろ。今に分かる」

 言いながら、老人は目の前に漂ってきたひも状の蟲を捕まえた。ひも状の蟲は、輪になったり、また解けたりしながら、様々な色に体を光らせていた。その蟲の作った輪を通ると、他の小さな蟲は消える。消えた蟲のあるごとに、ひも状の蟲はきらきらと光った。

「…食べ、てるの?」
「そうじゃよ」

 老人は今度はそのひも状の光る蟲から手を離した。蟲は逃げるように頭上へと昇っていき、さっきから浮遊している、半透明のエイへと進んでいき、エイの口と思しきところへ吸い込まれてしまった。

「…っ、い、今」
「ほ、食われたのぅ、騒ぎもせんで静かなもんじゃろう。納得しておるのじゃな、輪の中で生きていることに。じゃから、無心に喰い、無心に喰われる」

 老人は、降り注ぐ木漏れ日の下でギンコの草履を拾い、地面に腰を下ろして、それを片方ずつ履かせてくれた。その間にも、大小様々、色も形もそれぞれに違う蟲たちが、二人のいる同じ場所で息づいている。

「のぅ、今はまだ無理じゃろうが、お前さん、早う一人で旅するようになるといい。一人旅の最初は辛かろう。でもその方が『この世』がちゃんと見えてくるでな。見えたらきっと、そのうち全部がわかる。わかったと思ったら、またここへ来い。来たいと思う筈じゃ。わしはここで待っておるでな」

 老人はそう言って、真っ直ぐ麓の方を指差した。分からないことを沢山言われ、それでも、この老人が自分を騙したりする相手ではないと分かって、ギンコはこくりと頷いた。そうして時々振り返りながら、山を下りた。四度目に振り向いた時、さっきまで老人の居た場所に、何か白い陽炎のようなものが見えた。

 それは丁度、老人の背格好と同じぐらいの大きさだった。



 
 朧になっていて記憶を辿り終えて、ギンコは笑って言ったのだ。

「なぁ、おい。本当はあんた、人じゃないんじゃないのか、じいさん」

 ギンコは空に手を伸ばす。様々な蟲たちが、あの時と変わらずに漂っていて、彼の手を避けていったり、指に絡み付いたりする。ひも状をしたあの蟲も居た。あの時のエイは、見えなくなりそうなほど、高いところを泳いでいる。

 木漏れ日はきらきらと。命たちも、きらきらと変わらず。

「ここはまるで、楽園だな、蟲たちの。いいや、命の…か」

 喰ったり喰われたりしているというのに、どこも破綻していず、美しい円を描いて、すべてが美しく回っているような。この円を歪めるのは、殆どの場合、人の欲や驕りなのだろう。もうギンコもそのことに気付いている。

 罪なのは蟲を寄せるギンコではない。勿論蟲でもない。ただ、あるようにあるだけで、どちらかが悪いだとか、どちらかだけ禍だなどということの方が、間違っている。ただ、死んだ命がある時に、悲しむ誰かがいる。消える命のある時に、悔しがる心がある、それだけだ。

「そうして俺が、ただ、そうしたいと思って、旅をしているんだ。それだけなんだ」

 人の悲しみを見たくないから、誰かが嘆くのを見たくないから、立ち止まらずに、旅をする。それほど辛くはない。立ち寄った時、必ず喜んでくれる相手も出来た。その相手の顔を思い出して、ギンコは光に目を細める。

 光を吸い込む様に、ギンコはゆっくりと息を吸い、そうして言った。本当にそうなのかどうか確かめるすべは無さそうだったが。

「それじゃあ、またきっと来させて貰うよ…ヌシ殿…」

 立ち上がり、靴を履き、木箱を背負って、ギンコはまた歩き出した。間違っても、その「輪」から外れないように。出来る限り、その輪を歪めてしまわない様に…。