―――その姿はまるで、精霊のようにも見えて…―――



 海に突き出すように建つ小さな社。その前に能舞台のようなものが設えてある。

 海風に揺れる篝火の中、白い着物に緋袴の巫女が舞を舞っている。
 神妙な面持ちで村の男たちがそれを見ている。その中にはギンコの姿もあった。

 誰一人言葉を発するものもなく、巫女の舞を見ている。
 舞を舞っているのは、化野。その姿はあまりにも妖艶で、眼を奪われる。
 祭り、というにはあまりに厳粛な雰囲気で、ただ、舞を舞う彼と、その舞に纏いつくように奏でられる楽の音だけがその場の空気を占めていた。


 祭りがあるから見に来ないか。

 そんな文を化野から貰い、そうは遠くない所にいたギンコは、彼の住む漁村に足を向けた。それでも、到着したのは言われていた祭りの当日で、化野はいない。

「先生なら、山の上の社に行ったよ」
 顔なじみの隣家の女房がしっかりと閉ざされた玄関の前で途方に暮れているギンコに声をかけた。

「あんたは、行かないのか?」
 そういえば、この村に入ってから、女には出会うが男には一人も出会わない。それも疑問に思う。

「ああ、そんな祭りだからね。女人禁制なのさ」

 どうやら、その祭りと言うのは、この年一年の豊漁を願って水神を奉るためのものらしい。彼らの奉る水神は女神で、女がその祭りに参加することを禁じている、というのだ。

 今度は、よそ者の自分が参加をしても良いのか、と言うことが気にかかる。

「先生、今年は頭屋だからねぇ。頭屋は客人を招いてもいいことになってんのさ。あんた、招かれたんだろ? 行ってみなよ」

 背中の荷物は預かってやるからさ、と半ば強引にギンコの荷物を預かると彼女はまるで追い払うかのように彼の足をその山に向かわせた。


 舞のクライマックスなのだろう、楽の音が激しくなり、それにあわせる舞も激しさを増す。激しい海風に火の粉が舞い散り、舞台上で踊る化野と共に舞っているようにも見える。

 はらり、と一枚の花びらが舞に纏いつく。その場に、花の咲く樹など一本もないというのに…。

 はらり、はらり、はらり…

 厳粛なはずの舞が、妖艶さを帯びた。


 言われるままに山を登り、社の前に着くと、今まさに、舞が始まろうとするところだった。

 女人禁制な祭りのはずなのに、舞台上には巫女が一人。
 見知った顔に化野の所在を尋ねると舞台を指差された。

「先生ならあそこだよ」

 楽士の一人だろうか、とそちらに視線を向けると、そっちじゃないよ、と言われ、視線は自然と巫女へ向いた。

 薄く紅を差し、うつむき加減に瞳を伏せた顔。言われて見ればそれは自分のよく知ったあの男のようにも見えて…今度は、どうして化野がそんな格好で舞台上にいるのか、と当たり前と言えばあまりに当たり前の疑問が浮かぶ。

「本当なら頭屋に当たった家の中から初潮前の娘が出てやるんだがね」
 今年は当て嵌まる者がおらず、一番小柄だった化野がやることになったのだ、とギンコの疑問に答えが返る。

 漁師の村だ、よほどの子供でもない限り、それを生業としていない彼が一番華奢で小柄であったとしてもなんの不思議もない。感心していると、始まるぞ、と言われ、ギンコの意識は舞台上へと向かった。



―――ああ、懐かしい…―――



 はらりはらりと舞う花びらと終息に向かう化野の舞が一体化する。その様子にギンコは郷愁を覚えた。

 楽の音が緩慢になり、世界のすべてが動から静へと変換される。舞台上の巫女が倒れこんで楽の音が止み、それで舞は終わったらしかった。
 静寂に包まれていた境内にざわめきが戻る。

 今年の舞は良かった、豊漁を期待できそうだ、という男たちの声が遠くに聞こえる。が、ギンコは舞台上の化野から目が離せなかった。
 体を起こした化野の様子はいつも見知った彼のもので、それでもどこか雰囲気が違う。

 ギンコの姿を見つけ、嬉しそうに笑う口元がやけに妖艶に見えて、ドギマギしてしまった。

 近づいてくる化野から微かな花の香。そして、舞のように動かされた何気ない手の動きに合わせ、見えてくるのは纏いつくように舞う、花びら。
 それへ、眼を眇める。郷愁の原因を知った気がした。


 それはまだ、ギンコが蟲師として独り立ちして間もない頃、しばらく旅を共にした女がいた。

 彼女は行く先々の町で奉納舞をして歩いている、そんな女だった。

 なぜ、一緒に旅をすることになったのか、その発端は…彼女に蟲の気配を感じたから、だった。まだ経験の浅かったギンコにはその正体がつかめず、気になるままにその道中を共にすることになったのだ。

 彼女が舞うと、芳しい花の香が辺りに立ち込め、そこがどんな荒野であっても、彼女の周りには花びらが舞う。

 それがどうやら彼女に憑いている蟲の仕業だとは認識できるのだが、その蟲がどんな生態で、どんな障害を起こすのか、それともなんの害もないものなのか、それすらギンコにはわからなかった。

 ただ、舞を舞うたび彼女の体力が落ちているのが目に見えるようになるのに、そう時間はかからなかった。


「お前が一緒にいる女、あれ、長くねぇぞ」

 たまたま行きかった先輩蟲師にそう言われたのは何時だったか…。その理由を訊ねると、彼はその蟲の事を教えてくれた。
「あの女に憑いてる蟲は、舞花と言ってな…」



「おい化野!」

 村の男たちに讃辞を受けて、中々自分の前に来る気配のない化野に焦れたようにギンコが呼びかける。

「お前、どっかの花の下で舞の練習をしなかったか?」

 少し苛立ったような声に驚いてギンコの前に来た化野は、その突拍子もない問いに一瞬何を聞かれたのかわからない、という顔をした。

「……? ああ、ここ4、5日ほど、したなぁ。一体どうしたっていうんだ?」

 それはどこだ? 一緒に来い。と化野の返事を聞いたギンコはその手を取って無理矢理に引っ張って行こうとする。そのあまりの強引さに、化野は抵抗した。

「いきなりなんだって言うんだ?! 俺もまだやること残ってるし、だいいち、この格好のままじゃ、何処にも行けないだろ?!」

 まわりの男たちがからかうように、センセの色気に負けたのか? などと声をかける。普段のギンコならそんなからかいに真っ赤になってしまうところだが、今の彼は違った。

少し険しい顔はしたものの、真剣な様子はそのままで、そのいつもと違う様子に、化野は不安を覚える。

「一体、どうしたんだ?」
 握り締められた手を振り払って、それでも、真剣な彼に応えるように、化野はもう一度聞き返した、はっきりとした理由を言え、と。

「花の時期は短いから…」
「は?」

 その答えにもなっていない答えに化野は間の抜けたような声を発する。それでも、ギンコの表情は真面目そのもので、それを面白そうに見ていた周りの男たちの方に不安が広がったようだった。

「センセ、ここはもういいから行きなよ」

 いつにない真剣な面持ちのギンコに勘の鋭い男の一人が、蟲絡みなのか? と声をかける。

「ああ、化野に蟲が憑いているんだ」

 子供たちが蟲に憑かれて死にかけた事件は記憶に新しい。ギンコの言葉に少しの動揺が走り、化野はそれ以上拒む理由も見つけられずに、ギンコと共にその場を後にすることになった。



 舞花――花の咲く樹木に憑く、舞樹という蟲の仔――

 年配の蟲師はまだ若いギンコにそう説明をした。

『舞樹の寄生する木の花が散る時、その花びらが舞うように見えるのはこの舞花のせいであることもある。花びらが散って、地に落ちると舞花は死に舞樹の栄養になる。稀に、その舞花に寄生された花びらに触れた蝶などが舞花に憑かれ、舞花を他所に運ぶと、舞花は近くの樹木に寄生し、新しく舞樹となる』

 その蟲師に見せられた文献に記されてあったのはそれだけだった。

「舞花にはひらひらと舞うものに寄生する、という性質があってな。舞樹の寄生する木の下などで舞うと、ごく稀に、ではあるが、人間でも寄生されてしまうんだ」

 ギンコはその説明を聞きながら、旅の連れである女が踊っているのを眺めていた。その女の周りには、たくさんの舞花がいるのがわかる。

「もともと舞花の寿命は短い。花びらが木から離れ地に着くまでの時間しかないから。しかし、それが動く物に憑くと、途端に長くなる。とはいっても…せいぜい、一週間から十日だ。虫についた場合はそれで特に問題はない。もともと虫もそうそう長寿じゃないから」

 十日…彼女と旅程を共にするようになって、もう2ヶ月以上は経つ。目の前の男の言うことが事実ならば、彼女はどうしてこんなにも一つの蟲を纏いつかせているのか…。

「舞花は動く物に憑いた時点で、舞樹の種、と言う意味合いも持つ。だから、なんとしてもどこかに根を下ろさなければならないと考えるのだろう。その結果、十日を過ぎて寿命が尽きかけた舞花はその姿のまま、繁殖を始めるんだ」

 一つの小さな蟲を持っていても害はないが、それが大量になれば丈夫な人間でも喰われてゆく。そうしてその生き物の命を喰らって、その生き物を死なせ、自らの使命を全うしようとするのだ。

 男の説明の間、踊り続ける女の周りの蟲が増えているようにも見えて、ギンコはその美しさが、死を目前にしたために起こるものなのだと、ようやっと気付いたのだった。


「その舞花を引っぺがすのは簡単と言えば簡単なんだけどな」

 ギンコは化野に憑いた蟲のことを説明しながら歩く。
 化野が舞いの練習をしたという木は、もう目前に迫っていた。そこには真っ白な藤の古木があった。

「その女は結局どうなったんだ?」

 死んだよ、化野の問いに簡潔に答え、ギンコは藤の木の前で足を止めた。

「舞花の親である舞樹の下で地に伏せ、しばらく動かなければ、いい」

 有無を言わせず、化野をその木の下に這わせると、ギンコは少し離れた位置に立つ。まだ花が残っていて良かった、と呟くギンコに、どういう意味なのか、と化野が問う。

「舞樹が舞花を栄養として吸収するのは、舞樹の寄生する木が花をつけている間なんだ。化野、しばらく動くなよ?」

 その場に腰を下ろし、ギンコは舞花の話を続ける。

「舞花に憑かれ、それが繁殖を始めると、人は舞わずには居れなくなるらしい。そして、舞を舞えば舞うほど、舞花は増殖してゆく。そして寄生された人間は、大体半年から1年…親である舞樹の次の花の時期までには死んでしまうそうだ。だから、彼女は、死んだ」

 どれだけの時間、そのままだったのだろう、化野の身につけたままの緋袴さえも上から舞い散る花びらで白く見え始めた頃、ギンコはようやく立ち上がって、化野に手を差し出す。

「もう、大丈夫だろう」

 しかし、彼が手を差し出しているのに、化野は動く気配がない。
 思い出していたのは彼女のこと。それを化野に言うことはなぜだか躊躇われて、そのまま無言になってしまったせいなのか、化野はすっかりと寝入ってしまっていた。

「お前の舞を見て、懐かしいと思った。そのまま、ずっと眺めていたいと思ってしまった…けれど…お前を死なせずにすんで、良かったよ。彼女は助けられなかったけれど…」

 それは懺悔、なのだろうか…。男と女、似ても似つかぬ二人の面影が一瞬だけれど、ギンコのなかでは確かに重なって見えたのだ。

 化野の微かに上下する背中に手をあてて、軽く揺する。

「おい、こんなところで寝ちまったら風邪引くぞ?」
 


―――たくさんの花びらと共に舞う姿はまるで、
                      精霊のようにも見えて…―――


 彼女は、舞いながら、白い藤の咲く山中で、亡くなった…。




END












 壊れた時計さまのところで、キリ番踏んで、それで書いていただいたノベルでーすっ。「山、春、花、懐かしいというセリフ」という、四つものキーワードを並べて書いて頂いたのでした。

 そして私も同キーワードでノベルを書いておりますですよ。「記憶の標」というノベルです。私も時計さまも「春の花」と聞いて、桜以外のものを書く変わりものぶりだったりしてね。

 そんなところでも気が合ってて、とても楽しいですよ。時計さまっ。ラストがとっても切なくて、貴方らしいな…って思いました。書いてくださって、本当にありがとう。またそちらのキリ、踏みたいですー。

07/05/05

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華舞