文 : 惑い星



『いおと化野』






「先生?」

 縁側に座った娘が、真っ黒の髪を揺らして振り向いた。若い娘の髪なら黒くて当たり前だが、この子の髪を間近で見るたび、今でもふと、黒いな、と思ってしまう。

 初めて彼女の姿を見た時、この髪は半透明で薄っすらと緑だったし、その一日後にはあざやか過ぎて怖いくらいの緑色をしていたのだ。娘の名を「いお」という。早朝の冷えた空気に懐手して、化野は彼女の傍に少し近付く。

「ん? どうした?」

 彼女の持ってきてくれた魚を、台所の風通しいいところに置いて戻ってきたところだ。

「こないだね、二股道の見晴らしのとこから、ギンコさんが海を見てたの」
「…こないだって?」

 あぁ、つい十日ほど前に、あいつはここに来て行ったばかりだから、多分その時のことだろう。此処を発って、いつものように海の方へと下りていき、里を出る前に二股道は必ず通る。分かっていて聞き返した化野に、ちゃぁんと気付いていたようで、いおは問に答えない。答える代わりに別のことを言った。

「先生、淋しくないですか…?」
「へぇ…っ?」

 間の抜けたようなその声に、いおは若い娘らしい可愛い顔でくすりと笑った。

「嫌だ、先生、変な声」

 いおは縁側から立ち上がり、踏み石を蹴るようにして少し前へと進んでから、くるりと化野を振り返った。いおは言うのだ。化野がびっくりし過ぎて、言葉をなくしてしまうようなことを、少しだけ笑ったような、うきうきと楽しそうな顔をして。

「この里で助けてもらった時、体が平気になるまで、私、ここでやっかいになってたでしょ? その時から気付いてたんだけど、先生とギンコさん…って」
「え! ちょ…っ、ちょっと待ってくれ…っ」
「……」

 この動揺を一体なんと言ったらいいのだろう。確かにいおはあの時、十日ほどをこの家で過ごした。そしてその半分はギンコも化野と一緒にいたのだ。もう随分前のことになるから、いおがいる間に、自分がギンコとどんなふうに過ごしたのかまでは思い出せない。

「あ…っ、あー、気付いてた…って、何にっ?」
「えぇ、先生とギンコさんって、本当は」
「や! ちょっ、ま、待ってくれ!」

 続く言葉を求めた癖に、また慌てて化野は待ったを掛けた。

「あのっ。いや、やっぱり言わんでいいよ。何に気付いたかとか、そういうことは、すまんがそのまんま、いおの胸の中にしまっといてくれないかなっ」
「…そうですか?」
「ん、そう…。あのぅ、なんか、どうしていいか分からなくなりそうでなっ」
「別に今までどおりでいいと思いますけど」

 今までどおりって?! いおの見た俺とギンコの「今までどおり」って?? 一体全体、俺とギンコはいおに何を見られたんだ?! 知りたくて頭の中がぐるぐるするが、知るのが怖くて胸がどきどきしている。動揺冷めやらず、どころか「動揺」が喉に詰まって息がうまくつけていない気すらしてきた。

「先生?」
「う、うん、な、何っ?」
「ギンコさん、また早く来てくれればいいですねぇ」
「あ、う、うん、そ、そ、そうだなっ」

 くす、と、いおは笑って、変な先生、などと言いながら、魚を入れてきた笊をひょい、と持ち上げた。じゃあまた、と、いおが浜へ下りて行きそうになるのへ、化野はやっとの思いで声を掛ける。

「いお…! ひとつ教えてくれ!」
「え? はい」

 振り向いて、黒髪を揺らしながらいおは微笑んでいる。化野はそんな彼女に聞いたのだ。

「その、いおが見たギンコは、どんな様子だったんだ? この里からまた旅に発つとこだったんだろう?」

 問われたいおは、その時のことを思い出すかのように空を見て、それからにこりと笑って言った。

「片眼鏡を目のとこへ当てて、それで海を見てたんです。私が近くにいるのに気付いてなかったみたいで、話しかけたら、ものすごくびっくりして…。私、その時の言葉よく覚えてます」

 片眼鏡を、うっかり足元に落としそうになって、それでギンコは、こう言ったのだという。


 これは前にな、あいつのお古を貰ったんだが、
 落として割るといかんから、今度俺が今みたいにしてたら、
 おどかさないように、そっとしといて貰えるか?
 とても大事なものなんだよ。


 あぁ、なんて正直な。そう、化野は思った。いおの言葉に動揺して、続きを聞くのを拒んだ自分と、随分違うじゃないか。お前ときたらまったく。

「いお…」
「先生、私、いい加減浜に戻んなきゃ…っ」
「あ、あー。そ、そうだな。あの、さ、魚、ありがとうよ」
「いいえ。それじゃ、また!」

 ぱたぱたと駆け下りていく娘らしい後姿は、あっと言う間に遠くなる。一人残された化野は、力の抜けたように縁側に腰を下ろして項垂れた。いおの言葉が耳で鳴っていた。

 せんせい、さびしくないですか…?

「あぁ、そりゃあ淋しいさ。益々会いたくなっちまったよ、いおのお陰でな」









惑い星です! 化野の焦り具合と、ギンコの肯定具合のギャップが気に入っています。もしも自分がいおちゃんの立場だったら、常にボイスレコーダーとビデオとカメラは持ち歩くと思うわv だって美味しいポジションだもの♪ なんて思っていたら福頭巾さんが漫画を書いてくれました〜v ↓



マンガ : 福頭巾


『いおちゃんは見た!』







12/06/16