文 ; 惑い星


『 おまえのかけら 』






 眩しい。

 そう思いながら目を薄っすらと開けた。夜の間中、傍らにいた男は既に寝床に姿が無くて、ギンコは気だるく身を起こす。ほんの少し開いた障子の向こうには、雨戸を大きく開け放った縁側が見えて、外へ干した白い布がはためいている。それへも光が当たって、酷く眩しいのだ。

「…化野」

 寝起きは特に低いその声で呼べば、ぱたぱたと足音がして、化野が顔を覗かせた。

「起きたのか? まだ汁を炊いていないが」
「…働きものだな、化野」
「はは、人を嫁入り前の娘のように言うなよ」
「あぁ…嫁入り前なのに、散々なことをして悪かったか?」

 そう言えば、首筋を薄く染めて化野は目を逸らした。

「なにを今更…」

 寝るような間柄になったのは最近じゃない。もう一年も前なのに、未だに化野の所作が初心なのは、年に何度かしかギンコが来ないからだろう。抱くたび「初めて」のように幾らかの抵抗をして、最後には溶けるように従順になる。

 いつ慣れるのかと思う。
 それとも、ずっとこのままか?
 溶け合えないのはきっと俺のせいだろう。
 所詮はお前と、住む世界が違い過ぎて…

「ギンコ…?」
「何でもねぇよ。洗濯はあれで終いか? それともまだ?」
「まだあるが、別にそれは今日でなくとも」

 折角お前が起きたのだし。

 そう言い掛けた言葉を止めて、化野は朝飯の支度を続けに行ってしまう。火の無い囲炉裏の傍へ行けば、朝の日差しが畳を明るく照らしていて、益々眩しく、目が眩みそうなくらいだった。片方きりの目を細めていたのに、ギンコはそれでも、化野の文机の上にあるものに気付いた。

 見慣れた丸い、硝子の…。

 拾い上げて目の間近に翳し、それを通して部屋の中を見る。庭にはためく白布を見て、その脇から遠く見渡せる、眩く青い海を。けれど、盆に朝餉をのせて現れた化野の顔には、ちゃんと片眼鏡がはめられていた。

「それな…。もう傷だらけだから、新しいのを用意したんだ」
「そう言えば、随分古そうだ」
「うん、この里へ来る前から使っていたから、かれこれ…何年だろうな、覚えてもいないが」
「…ふん、捨てるのか」

 無造作に机へ戻すと、置き方が乱暴過ぎて、それは畳へと転がり落ちてしまう。怒りもせず、けれど大事そうに拾い上げて、化野は指先でその表面を撫でた。傷のひとつひとつにすら、思い出があるのだと、そう言っているように見えた。

「捨てやせん。大事にとっておくよ。愛着もあるし、これまで共に働いてくれたのだからな」

 そう言った笑みが、何かを懐かしむようにあたたかだ。

「…くれよ、それ」
「え?」
「俺にくれって言ったんだ。駄目か?」

 そう言いながら手を伸ばして奪い取り、ギンコは縁側で化野の草履を引っ掛ける。目の上にそれを嵌める素振りをしながら、そのまま庭へ出て、里の風景を見た。緩く弧を描きながら下る坂道、その左右には家や田畑。そして海…。空…。

 が、そられはどれも撓んで見える。目の悪くないものが使えば、合わぬ眼鏡は逆に像を歪ませて。

「ギンコ、朝餉が冷める」
「あぁ…お前の見てきた風景は、どんななんだろうと、思ってな」

 振り向かずにそう言えば、化野はどこと無く淋しげな声になって言った。

「それはな…。お前がいつも見ているのとは、違う風景だよ。俺には蟲は見えないし、この里にいるままの日々なのだしな」

 目から片眼鏡をよけて、それを持った片手をぶらりと下げて、ギンコは続く言葉を聞いていた。

「俺こそ、お前の見ている世界が見てみたい。随分美しいのだろうな、蟲の住まうこの世は。地下に流れる、金の川とか」

 それを聞いて、ギンコは笑う。種類で言えば、苦笑、だろうか。互いに手の届かぬものと知りながら、切ない思いで欲しがるのは、それが愛しい相手の住む世界だからだ。

「欲しけりゃやるよ。でもその代わりに俺はお前から、何を欲しがったらいいんだろうなぁ」

 いや、戯言だよ、と言葉の終わりに言い添えて、化野はギンコに飯を盛った茶碗を差し出している。年に数度きりの、乏しい逢瀬だというのに、こんな素朴なただの朝で…。

 だけれどそれこそが貴いのだと、朝餉の漬物を噛みながら、ギンコは思っているのだった。









実はコレ、第一リレー走者の惑い星が書いてた第一話。でもボツにしちゃったのでした。「オマケ」の仲間に入れさせて貰っちゃって、すいませんっっっ。ありがとうございましたーv  
 本編と同じく、役目を終えた化野の片眼鏡にまつわるお話。こういう二人もいていいかなって♪

追記☆ 挿絵を書いて頂きました♪ 下の「挿絵へ」をクリック!






11/11/19


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