文 : 惑い星


『ギンコの大事な光りもの』









 いつものようにギンコが化野の家を訪れると、いつものようではなく、化野が薬棚の前で伏せをしていた。この男の奇妙奇天烈は今に始まったことではないが、ギンコは思わず、口を開いてこう言った。

「何してんだ? まじないか何かか」
「お? おぉ、ギンコ! 来たのか。いだ…っ」

 喜んで身を起こした化野は、丁度頭の上あたりに開いていた抽斗に後ろ頭をぶつけている。

「あぁあ…痛そうだな。それもまじないか?」

 冷やかな呆れ声を気にしたふうもなく、化野は最初と同じような格好で背中を丸め、両方の手のひらを畳の上に付き、するするとそこいらを撫で回している。

「いや、実はさっきうっかり丸薬を零してしまってな、幾つか見つからんのだ。冷たいことばかり言ってないで、ちょっと手伝ってくれ」

 冷たいとは思っていたらしい。ギンコは頭を掻いて部屋へあがって、背中の木箱を片手で下しながら、目でざっとそこいらを眺めている。そして床に膝を付くまでもなく蓬色の丸薬を見つけ、ひょい、ひょいとそれを拾って差し出した。

「すぐ目の前だろうが。おら、三つでいいのか?」
「おぉ、多分そのくらいだ、目がいいなぁ、ギンコは」

 そう言って受け取ろうとして、化野は三つのうちの一粒をまた落としてしまっている。それを探すためにまた手を付いて這い蹲るので、もう一度拾ってやってから、ギンコは言った。

「お前、なんか変じゃないか?」
「あ? そんなに変か?」
「いや、なんか顔の間が抜けてねぇかと」

 酷い言われようである。だが化野は右目をコシコシと擦って頷いた。

「あぁ、まぁ、皆から言われる。しょうがないんだよ。落として失くした俺が悪いのだ。今、作って貰っているところでな」

 何の話かと思いながら、いつもどおりに、どっかと座って、茶が出てくるのを待つギンコ。化野もギンコのそんな態度に不満はないようで、いそいそと立って行って茶棚の前に膝を付き、今度は茶葉を床に散らばして慌てている。

「おいおい、お前、さっきから何…」

 そこまで言ってギンコはやっと気付いた。化野の顔の上に、いつもは必ずあるものが無い。どうりでいつもと違った顔に見える筈だ。薬を零したり、茶葉を散らばしたりもそのせいだったのだ。

「お前、片眼鏡をどうした」
「だから落として失くしたと言ってるだろう。俺の話をさっぱり聞いてないな、ギンコは。実は山でキノコを採っていて、子を守ろうとする親鴉に突かれてな。慌てて走って逃げた時に落としてしまったんだ。探しに行ったが見つからなくて」
「キノコに鴉かよ、しょうもねぇ」
「言うが、偶然にキノコの群生に出くわしたら、お前だって採って帰りたいと思うだろう。それでうっかり子育て中の鴉の巣に近付いてしまって、二羽でもって突こうとされたら、お前だって慌てて逃げるだろうが」

 まぁそれはその通りだ。化野のことだから、キノコは里の皆にも分けようと思って張り切って採っていただろうし、子を守る親鴉たちに騒がれれば、怖がらせて悪かったと心底思いながら、すぐにそこを離れようとするだろう。

 間抜けだが優しい男なのだ。それは間違いない。

「俺がやる」

 そう言ってギンコは、湯の沸いた土瓶を取って、自分で自分の茶を入れ、化野にも入れてやり、拾い切れていない零れた茶葉も掃除してやった。優しいのは化野ばかりではないらしい。

「…なぁ、そんな見えねえのか、お前」

 次から次から失敗する化野を見兼ねて、いろいろと手を出しながらギンコはそう聞いた。

「うーん、遠近感がどうもなぁ。あると思ったところに物がない、などという感じだよ」
「大変だな、随分と不便だろう」
「見ての通りだが、仕方ない。もうこれでひと月なんとかやってきたし、早ければそろそろ新しいのが出来てくるから、それまでの我慢だ」

 額に微かに残る傷は鴉に突かれたものだろうが、手の甲や指にある怪我は、片眼鏡がないせいで付いた傷だろう。

「ま、せいぜい怪我の少ねぇようにな」

 ギンコはそんなことを言いながら、ふと立ち上がって縁側から外へ出ていく。ちょっと散歩、などと称しているが、本当は思い出したことがあったからだった。

 ギンコが来ているというのに、失敗ばかりで世話を掛けて、居心地が悪くなったのかなどと気に掛けて、化野はしょんぼりと彼の帰りを待っていた。

 

 確か、ここいらだ…。この向こうにゃ古い倒木があって、毎年キノコが採れると聞いたし。

 そんなことを思いながら、ギンコは何やら上の方ばかり眺めている。つい数刻前ここを通った時、何か光るものを枝の上に見た気がした。位置や格好からするとあれは鴉の巣だろう。そして鴉と言えば、光り物を好んで集めるとかいうじゃないか。

「あった、あれだな」

 ギンコの記憶は正しかったらしい。今も夕日の色を反射して、きらきらと光っているものが見える。巣は既に子鴉も巣立ち、親鴉もいない空の巣だ。しかしこの木は中々、登りにくそうな枝ぶりをしている。

「やれやれ、お前はまったく手が掛かる男だよ」

 何で俺がこんな、などと愚痴りながら、ギンコは靴を脱いで靴下も脱いで、もう登る気満々だ。悪戦苦闘の末、擦り傷いくつかと引き換えに、ギンコは化野の落し物をなんとか取り返した。

 地面に下りてからよく見ると、片眼鏡には小さくない擦り傷が沢山ついていた。鴉の巣の中にずっとあって、足で踏まれたり、嘴に咥えられたりしていたのなら、それは仕方のないことだと思った。

 こんなのでも無いよりはマシだろうよ、と、大事にポケットへ入れて化野のところへ戻ると、

「おぉ、ギンコ、戻ったのか」

 化野はいつもどおりの顔をして、ギンコが戻るのを待っていた。にこにこと嬉しげで、その右目には真新しい片眼鏡。彼が山で悪戦苦闘している間に、頼んでいたのが届いたのだと分かる。

「ギンコ、なんだどうした、その顔。山を散歩してて何かで引っ掻いたのか?」

 新品の片眼鏡は随分よく見えるらしい。ついさっき拵えた、ギンコの頬の小さな傷に、化野はもう気付いている。近付いてきた化野に、頬を心配そうに撫でられて、ギンコはその手を避けながら素っ気なく言った。

「気付くのが遅ぇよ、さっきっからあるぜ、昨日つけた傷だからな」

 いつのものだろうと、と、化野は軟膏を取り出してきてギンコの傷に塗り付けてくれる。その指先がくすぐったかった。良く見えて嬉しいのか、じっと見つめてくる目もくすぐったい。

「もういいってっ。それよりか、なぁ、化野」
「ん?」
「失くした片眼鏡は、随分古いんだろうな」

 そんな唐突な問い掛けにも、化野は特に何も感じずに答えている。それでも、言いながら少し淋しそうな顔。

「あぁ、もう十年も使ってたかなぁ。そう考えれば、もうあれは俺の一部みたいなもんだったんだ、失くして惜しいことをしたよ。今頃はどこの枯葉の下にあるやら」

 ギンコは、ふい、と視線を逸らして笑っている。 

「なぁに、見つけたら、俺が大事に拾っといてやるさ。見つけたら、だがな」

 そして拾っても、お前に言うとは限らない。鴉のせいで傷物だしなぁ。そう言葉にせずに思って、ギンコはポケットの中に片手を入れ、そこにある固い丸い物を指先で撫でていた。

 これが化野の一部と言うんなら、鴉なんぞにゃやれねぇなぁ。他の誰にもやれやしない。こいつは俺の「光りもの」だよ。









12/11/17





 落として失くした化野先生の片眼鏡を、ギンコが拾ってくれるものの、片眼鏡はそのまま彼のものになる、というお話。
 黙っているのは照れ屋だからかも知れませんね。見つけた、拾った、などと告げると、欲しいなんて言えなくなるんですよv そんなお話でした。  惑い星