文 : GINCA






『早く、またきてくれ』






■ 後編








このところ、化野は、ふさぎの虫に取り付かれていた。
 前に化野の家を出発ってから、まるまる三十日は過ぎたというのに、もう三日もギンコが来ない。(まだ、三日? ううう・・・まだ、だなんて言わんでくれ:化野談)
 それだけでも、不安の虫が頭をもたげてきていたというのに、この間、来て行った行商人から聞いた話では―――
「はあ。蟲師のギンコの噂? 何か、聞いてないかって?
 ああ。噂は知らんが、ギンコなら、こないだ会ったよ」
 俄然、化野は身を乗り出した。
「何時だね、それは?」
「それと、何処でだ?」
 と、畳み掛けるように、矢継ぎ早に問うた化野に、う〜ん・・・と、その行商人の男は、天井を見上げて、
「一昨日だったかねえ? あの人、そっちの里の浜にいたよ」
「隣の浜にか?」
 化野は、驚いた。
 ならば、なぜ、まだギンコは来ないんだ?
 思わず眉を寄せた化野に、その行商人の男は、あっけらかんと、
「いやあ、『沖菜草(オキナグサ)』だかって、蟲?」
「ああ。蟲の方だろう、そいつは」
 と、化野は請合った。≪入手しやすい蟲がらみの珍品・お宝★選≫に載っていたモノだ。
「それで?」
「はあ。その沖菜草を採りに来たんだ、とか言ってて―――あそこの浜からオキノ島へ渡ろうと思って来てたようなんだが、しかし、あそこの里じゃあ、そん時、フナムシが出たってんで、もう、舟が一艘、駄目になっちまったんでないか、とか言っててねえ――― 」
「船虫?」
「いやいや。ムシっても、蟲師の蟲の方で。
 腐るのフに、舟って意味の拿(ナ)ぁ書いて、蟲。で、腐拿蟲(フナムシ)って言うんだと。名前つけた奴が、なんか難しい漢字やたら使いたがるような奴だったんだか、駄洒落の好きな奴だったんだか、したんだろうさね。
まあ、でも舟一艘だからねぇ。そんな、乗るな!触るな!!の大騒ぎって程じゃあねぇが、そいでも、みんな、よそ者に舟触らすのは嫌だって感じで・・・ ギンコも、『まずは、その腐拿蟲をどうにかしてからだな、島へ渡らして貰うのは。遅くなるが、まあ仕方ねえか』とか何とかブツクサ言ってたっけが」
「そうか・・・ しかし、オキノ島? とは、この辺では耳にしたことのない島名だが?」
「いやいや。それ、名前じゃねんだわ、先生」
 行商人の男は、手を振って、
「あそこの里の、沖の、島。で、沖の島。
どでかい岩の頭が出てるだけみたいなもんで、上は平たいし、けっこう広いんだけど、人も住んでねぇ島だからねえ。ありゃ、島じゃねえだろう、って言う人もいるよ。
まあ、そんなだから、渡し舟なんかもねんだけど、あそこの海は、潮の流れがえらく速くなる所があるんだってね? そいで、凄い勢いで、沖に、舟持ってかれちまうんだと」
「そんな怖いところが、この辺にあったのか?」
「いやいや」
行商人の男は、片手を振って、
「そんなだから、自分で舟漕いで渡るよりか、誰か、舟持ってる奴に頼んで渡る方が普通って所だそうだから、かえって、そうそう危ねぇこたねえって話だよ。ギンコだって、まさか、自分で漕いで渡ろうなんてはしないでしょうよ。って思うけどね」
「そんな・・・波の危うい場所なのか・・・・・・ 」
 化野は、呆然として、
「『沖菜草』は、手に入れやすい品だと聞いていたんだが・・・」
「何だ、先生が頼んだの? やっぱり。
 いや、そりゃ、居所が分かってる蟲だってんなら、蟲ん中じゃあ、他のよりゃ手に入れやすいんでしょうよ。
それに、沖菜草は、植物にうんと近い性質のヤツだって言うんで、
私らにも見えるし、採っても、押し葉なんかにしたっても消えちまわないんだってね? 採り方や、押し葉にする仕方にちょっとした技が要るっていうんで、やっぱり、私らみたいな蟲の素人にゃ扱えるものじゃあないそうだが、高く売れるんだろうねえ、その『沖菜草の押し葉』は」
 そんな、沖菜草の説明には、つい、また、興味を引かれて聞いていた化野だったが、
「そうだったのか・・・ 」
 すっかり沈み込んでしまった風情の化野に、その男は、眉を八の字に落として、
「こりゃあ・・・化野先生にゃあ悪い話をしちまったかねえ?」
 言われて、化野は、己を叱咤して、ニコと笑って、言った。
「いや、ありがとう。教えて貰えてよかったよ」
「そうかい? なら、いんだけど・・・ 」
 既に商談は済ませていた男は、そそくさと立ち上がって、
「じゃあ、私は、これで」
「おう。道中、気をつけてな」
笑って見送ったものの、もはや、化野は、心ここにあらず、だった。
その後、ギンコは、どうしたのだろう?
無事、その島に渡って―――無事に、戻れたのだろうか?
 『季刊・蟲好み』に≪入手しやすい≫と銘打って掲載されていた、あの≪蟲がらみの珍品・お宝★選≫のモノを手に入れに行くのが、どんな道行きか―――だなどということは、少しも考えなかった!
 ≪入手しやすい≫というくらいだから、単純に―――比較的、簡単に手に入れられるモノだろうと―――
そんな、危うい潮流の海を渡って行かねば手に入らないようなものだったとは―――!
すまん、ギンコ!
 ああ、早く、また来てくれ! 早く来て、俺に、お前の無事な姿を見せてくれ!
ギンコ―――!



 一方、こちらは、そっちの里。
 腐拿蟲祓いをして、里の人々の感謝と協力を取り付けたギンコは、まんまと手練れの渡し守の舟で沖の島へと渡って、くだんの『沖菜草』を採取してくることに成功していた。
 腐拿蟲の方は、ソレらの大好物らしい、と言われているものを持って来たので、それを餌にして、箱罠ならぬ『瓶罠』を仕掛けることにした。
 すなわち、ギンコが持ち歩くに苦のない大きさの蓋つきの瓶―――まあ、本当は硝子壜があればいいのだが、ここでは古瓶の方が手に入りやすいだろう、ということで―――を、里の人らにも協力して貰って、幾つか用意して貰って、その中に蟲の好物を入れ、一瓶=数時間ずつ開けては閉めて、蟲の好物を使って瓶の中におびき寄せ、集まったところで蓋をして蟲を捕まえる、という方法だ。腐拿蟲たちだって、舟なんぞ喰うより、こっちの餌の方が、ずっといい筈だ。これで、大半の腐拿蟲を捕まえることが出来ただろう。
捕まえた腐拿蟲たちは、後で、元々の棲み処である、とある高山の中腹辺りまで持って行って、放してやればいい。
腐拿蟲という蟲は、舟には良くない蟲だが、とある標高の高い山の上では、『紅石水』とかいう、これまた、その山でしか育たないといわれている草花が、その綺麗な紅い花を咲かせるのに不可欠な蟲だと聞いていた。
あとは、残りの腐拿蟲の除去―――この大好物に釣られてくれなかった蟲が、もし、まだ居残っていたとしたら、まあ、気の毒だが、ソイツらには消えて貰うしかない―――と予防に使える薬湯の調合を、念の為、問い合わせた狩房文庫(と言うか、狩房淡幽お嬢さん)からの返事を待つばかり。
沖の島から採取してきた『沖菜草』の押し葉作りも、持ち歩くに十分な程度には終えていた。
「では、これが報酬、ということで」
 と、『沖菜草』の押し葉をくるめて木箱のトランクに仕舞いながら、ギンコは、この蟲師仕事の依頼主に言った。
 そんなギンコに、依頼主や里の人らは、
「本当に、それでよろしいの?」
そんな、海草の押し葉―――と、里の人らは思っているようだ―――とギンコの顔を見比べながら、そう言ったが、ギンコは、いつもの平易な口調で、
「けっこうですよ」
 ひとつは、注文どおり、化野に売る。
あとのは―――『季刊・蟲好み』に載ってた品だ。化野の『お使い』ついでに他に、いつも何冊か仕入れて、あの本を売り歩いている先へも持ってゆけば、同様に、良い値で売れるだろう。
 あとは、問い合わせた文への返事がくれば―――
 カタカタ、カタタタッ。
と、木箱のトランクの中から音がした。
待っていた文が届いたようだ。
ギンコは、鈎爪つきの蟲ピンをウロ繭に差し入れて、中から、ウロさんが運んできた文を掻き出した。
 淡幽お嬢さんの、流れるように美しい文字列で、ギンコが覚えていた通りの処方が記されていた。
その処方書きを、覚えるなり書き取るなりし易いように、里の人らの前にも広げて見せながら、ギンコは、薬草を量って、煮出して、腐拿蟲避けの薬湯を作ってみせた。そうして、使い方もまた、実演して見せながら、里の人らに説明した。
「このようにして、薬湯を作り、何度か、また、舟に吹き付けておけば、問題ないでしょう」
 何度か、と聞いて、先に薬湯の処方を写し書いていなかった者たちも、慌てて書き取り始める。
「もっと、薬を置いていっては貰えないんですか?」
 と、その里の漁師の一人が言った。腐拿蟲に舟をやられた男とは違う者だったが、不安なのだろう。
 が、ギンコは首を振った。
ここに、手持ちの薬草を全部置いていったとしても、どのみち、この里の皆に行き渡る分には、全然足りない。それに―――
「この先の町でも同じ障りが起きていたなら、すぐに、この薬湯が入用になるかと思うんで、俺が、今持っている薬草の残りは、そこへ持って行きます。ですが、この薬草を持っている薬草売りに、ここを通るように頼んでありますから、もうじき来ると思います」
 そう、ギンコが請け合うのを聞いて、その里の一同、安堵した様子で、その言葉に頷いた。
 ここと、化野の住む町にも売りに来てくれるように、と―――複数の薬草売りにウロ文を送って頼んでくれるようにと、ウロ守の綺に頼んであるから、この里にだけ、その薬草を買い占められてしまうようなことにはならないだろう。
 その時。
カタカタ、カタタタッ。
と、また、木箱のトランクの中から音がした。
「お、また文だ。薬屋か?」
 薬草売りのことを考えていたので、つい、ギンコは、そう呟いた。
途端に、腐拿蟲除けの使い方を知ろうと寄り集まっていた、周囲の里の人らの目線が、また、ざざんざと大波が寄せてくるように、ギンコの手元―――と言うか、ウロ繭から掻き出されてくる文―――に寄せられる。
うおっ。
むん!と集中する視線に、非常なやりづらさを感じながら、ギンコは、傍らに置いていた木箱のトランクを開いた。
しかし、何の文だろう。
(まさか、薬屋連中の誰も、すぐには来れねえ、とかいう文じゃあねえだろうな)
それとも、淡幽からだろうか?
あの薬湯の処方に、何か足りないものがあった、とか―――
いや、こういう問い合わせの時は、必ず、記憶でなく、聞いたその日に書き記した巻物を見て調べて、淡幽は、返事を寄越してくれているのだ。そんな類いの抜かりは、ある筈がない。
(それとも、俺の、この腐拿蟲の処理方法じゃあ、何か抜かりがあるのか?)
実は、この腐拿蟲の対処方法と言えば、この蟲を好んで喰らう他の蟲に喰わせるのが、古来言い伝えられてきている対処方法なのだった。
しかし、その方法だって、その捕食する蟲が、腐拿蟲を完璧に食い尽くしたかどうかを確かめるような術など、なかった筈だ。
腐拿蟲が全く出なくなるまで、何度かその蟲を祓う依頼をした、というのは、ギンコが、あちこちの浜で聞かされた話だ。
処理をした蟲師らに言わせれば、「高地でしか育たない蟲なんだから、また、浜の誰ぞが、その禁域の霊山に分け入って付けてきたんだろう」という話だったが、低地じゃすぐ死ぬ、と言う程でもないのだろう。浜の人らが言っていたように、「まだ、どっかに隠れてて、喰われなかった蟲がいたんだねえ」というようなことがあっても、不思議はないだろう、とギンコも思うのだった。
が、いずれにしろ、同じ薬湯を使った予防処理―――医家先生流に言えば『消毒』とやらを、その後しばらくの間していれば、蟲は、残っていたとしても、みな死滅する。この方法で後処理をして貰った浜では、「また、出た」という話は、今のところ聞いてはいない。もう、この蟲による障りは起きない筈だった。
心中、穏やかならぬ思いを覚えながら、速やかに、ギンコは、木箱のトランクからウロ繭を取り出して、文を掻き出した。
急ぎ、書き殴ったように、大きな―――とは言え、元が、とても読みやすい楷書の文字を書く化野の文字が、ひと目で全文、目の中に飛び込んで来た。
『俺が悪かった。ギンコ、早く帰って来てくれ。』
「あ?」
 思わず、声を上げて―――はっとして、ぎゅっと、ギンコは手のひらの中にその文を握りしめた。
が、遅かった。
その手を取り囲むようにして覗き込んできていた里の人らが、サッと、みな、あわてたように目をそらして、袖口や手で、にやけた口元を押さえる。
あー。
 ギンコは、ぼりぼりとうなじを掻いた。
(まいったね)
 が、もう読まれちまったものは、いまさら仕方がなかった。
 顔が、熱くてたまんねえな、と思いながら、ギンコは、ポケットに手を突っ込んで、その文を仕舞いこんだ。
里の人らも、それぞれに、空を見上げてエヘンと咳払いをしたり、にこにこしたり―――にまにましたりしながら、やがて、また、ギンコの方へと向き直る。
ギンコは、いつもの平易な口調で、言い加えた。
「いや・・・これで、抜かりはないようです。では、これで」
「ありがとうございました」
歩き出したギンコの後ろ姿に、里の人らが頭を下げる。
里の人らに温かく見守られているのを背中に感じながら、ギンコは、その里をあとにしたのだった。



 その翌日。
 化野のもとに、ギンコがやって来た。
 居間で、診療録の続きを書いていた化野に、覗く中庭の入り口から手を振って、
「よう」
「ギンコ!」
 すぐに立ち上がって、化野は、縁側へと走り出た。
「良かった。本当に、無事だったんだな!」
「あ?」
 ギンコは、眉を寄せて、
「ここでも、腐拿蟲が出たのか?」
「いや、何も」
 俺や、この町のものたちにも、舟にも、今のところ、何の障りも無しだ。
 化野は、にこにこと首を振った。
「なら、いいが」
 とギンコは頷いて、
「何、聞いたんだか知らねえが、あんまり、変な文よこすなよな」
 化野は、思わず首を縮めた。
「いや・・・ははは・・・すまんな」
あまり、怒っているような様子ではないが、荷を降ろすのも待たずに言い出すくらいだから・・・その・・・
「・・・・・・不味い時に着いたのか?」
 その・・・変な文。
「着いた」
とだけ、ギンコは言った。
詳しくは言いたくないらしい。
ギンコは、縁側に木箱のトランクを下ろして、開けると、
「ほれ」
 と言って、化野に、硝子張りの小箱を手渡した。
中には、本草学の標本よろしく押し葉にされた、不思議な、半透明の薄荷のような草が収められていた。
「『沖菜草』だ」
「おお!」
 と、思わず、化野は喜びの雄叫び(?)を上げてしまった。
 正真正銘、本物の―――
「蟲の標本か!」
が、すぐにまた、化野は、シュンとなってしまった。
「すまんな。何やら、危うかったのだろう?」
「あ? 別に。沖菜草は、ヒトは喰わんぞ」
「いや―――これの生えていた島の周りは、潮の流れが速くて、危ういところだ、と――― 」
 しおしおと項垂れる化野に、ギンコは、いつもの平易な口調で、
「もちろん、手練れの渡し守に頼んださ」
ギンコは、にっと笑って、
「なんだ? 舟賃もつけてくれんのか?」
「おお、そうだなっ」
 急ぎ、財布をとりに行って、戻ってきた化野は、
「おわっ?」
と、何もない筈なのに、ツンと躓いた。いや―――昨夜は、夢見が悪くて―――つま先を上げ切れないまま擦って、進んでしまったせいだ。
つんのめったように倒れた化野を、ギンコが、縁側の板間に片膝をついて抱きとめてくれていた。
化野も、しっかりとギンコに抱きついていた。
久しぶりの感触に、なんだか、じーんとした。
今、確かに、この両の腕の中に抱えている白い頭に、つい、すり・・・と頬を擦り付ける。
照りつける日差しや風雨に荒れた髪。
日向の匂い。
ギンコが、ここにいる。
ひし、とその頭を抱きしめながら、化野は、小さく呟いた。
「なあ、ちょっと・・・このままでいていいか」
 別に、ナニしてる訳じゃないんだから、縁側でだって―――誰に見られたって、かまやしないだろう?
 が、
「嫌だね」
 というのが、ギンコの返事だった。
 そうだった。ギンコは、硬い板間に膝をついているのだ。
 しおしおと、腕を緩めた化野を、ギンコは、己が頭と首から引き剥がすと、立ち直して、自分も、靴を脱いで縁側へと上がってきた。
 ふと、居間のこっち側の、化野の寝室に目を向け―――その奥に積み上げられた、二組の、ふかふかの布団を見つけて、しばし眺めやる。
(お、おい・・・ )
 そんな用意まで、もう、してあるのを見つけられてしまって、化野は、焦り、うろたえた。
(それは、その・・・・・・ほれ、また後で、だな・・・!)
 ほわわん・・・と、その『後で』の情景が頭の中にいろいろ思い浮かんできて、かあッと顔が熱くなる。
 いっそ開き直って、化野は、照れ隠しにギンコをにらんだ。
(・・・・・・い、いいじゃないか。お前と俺の仲なんだから!)
が、ギンコが、今一度、化野に戻した眼差しは、欲、というよりは、
深い愛情を宿したものだった。
ギンコは、じぃっと化野を見つめ、ふわりと化野を抱いて―――強く抱きしめた。
「なあ、化野、ただいま、って言ってもいいか?」
 とギンコが言ったので、化野は、嬉しさでいっぱいになった。
「勿論だとも。おかえり、ギンコ」
 と化野も言ったのだった。












12/03/31