文:GINCA



〜ギンコが、次に来る日を、化野に確約できない理由〜





 夕刻―――
 小さな漁師町で町医家を営む化野は、山畑の薬草園で薬草を採取していた。
無論、良質の薬草を用立ててくれる薬屋に行商を頼んで、買ってはいるが、薬というものはけっこう値の張るものだ。経費節約の為―――ひいては、皆の薬代が安くて済むように、山に生えているものなら採取してくるし、そこいらで育てられそうなものなら、育てている。
昨日、今日は、皆つつがなく、長患いの患者らの病状も落ち着いていて、化野にとっては久々の凪の日々だった。また、いい具合いに、この日の午後は、薬作りにはもってこいの上天気だった。もう、じきに、幾種類もの薬草が、まんべんなく減る予定もあるし―――ギンコが、前にここに来て行ってから、昨日で、ちょうど三十日が過ぎたところだった。
ギンコというのは、しばらく、この化野邸へ、きっかり三十日おきに通って来ていた、流しの蟲師だ。
蟲。
という、われわれとは異質な生命の在り様でこの世に存するモノたち。ソレら蟲が、人に、障りとなるような何かを及ぼした時に、その障りを解き明かし、取り除くのが、ギンコたち蟲師の仕事だった。また、そんな仕事柄、手に入れた、蟲がらみの品々を化野のような『珍品・稀品・蟲好み』の蒐集家たちに高値で売りつけたりもする。
二十代後半の若さだが、総白髪で、目鼻立ちは整ってはいるが、右目は碧・左目は肉色の眼窩すら見えずに、ただ闇を湛えているように見える、隻眼の、異形の蟲師。
が、そんな異彩の容貌も、やや猫背気味に背中を丸めた中肉中背の体型も、化野にとっては、ばっちり☆好みの範疇だった。
人柄も、信頼出来る、よい男だ。蟲師としての腕もよかった。蟲好みだが、蟲が見えない、医家の化野にとって、ギンコは、蟲患いと思われる患者の治療を頼むに、頼りになること間違いなしの、よい蟲師だった。
「この町に根を下ろして、町の『お抱え蟲師』になってはくれんか?」
この町に居ついて欲しくて、そんな話を持ちかけたこともあったが、『集まり過ぎれば、それだけで人に良くない影響を及ぼすこともある』という『蟲』を寄せる体質である、というギンコは、ひとつ所に蟲を寄せ過ぎぬように、と流しで仕事をしているのだ、と言った。
晴れて、化野と恋仲になってからは、『二十九日置きじゃあ、まだ蟲が散り足りてねえ感じのときがあった。三十日置きくらいが限度のようだ』と言って、きっかり三十日おきに来てくれるようになった。味と鮮度に、やたらとこだわる『都饅頭』の賞味期限じゃあるまいに、一度くらいそうだったからといって、毎回そうとは限らなかったのだろう? つれないことを、と化野は言ったものだったが、そういうところは、ギンコはお堅い男だった。
なのに、そのお堅い「お約束」の日の間が、いつの頃からか、一日遅れ、三日遅れ、十日遅れと定まらぬように遅れ遅れとなってきている。なるほど、はやくなるのはマズイが、遅くなる分には、問題なし、という訳だ。
しかし、日の置き具合で危うくなるのは蟲のことだけではあるまいに、と化野は思うのだ。
雑多な妄想がとぐろを巻くようにぐるぐると浮かび上がってきて、化野は、ぶんぶんと首を振った。
いやいや、だからと言って、ギンコは二股をかけるような男じゃあない。
ふと、目を上げると、山道から、漁師の網吉が、薪の束をかついで下って来るのが見えた。
「よう」
と声をかけて、
「親父さんの、腰の痛みはどうだね?」
 と問うと、
「はい、おかげさんで」
と、網吉は、頭を下げた。
「痛み止めは、足りているようか?」
「はい。動かさないば、だいぶ楽だ、って」
「はは、薬で痛まないからといって、いつも通りにやったら、またぶり返すぞ、と言っておいたんだが、大人しく養生しているか?」
「いやー、そりゃもう、お袋に怒鳴られっから」
 と笑って、首を縮めながら答えた網吉の様に、
「ははは、そうか。そりゃあ、大丈夫そうだな」
と笑って、化野も頷いた。
「そういや、先生」
 と、網吉は言った。
「昼間、山向こうの浜まで船で荷運びに行ってきたんだけどさあ。ギンコさんっぽい人が、山の方へ歩いてくの、見たよ」
あ?
 化野は、嬉しさでいっぱいになった。
「ギンコっぽい?」
(ほう!)
(確かか、それは?)
(いったい、どんなだった?)
 矢継ぎ早に心に浮かんだ問いを、声にする間もなく、激しく期待を込めて目で問うと、網吉は、詳しく思い出そうと、じっと宙の空を見上げながら、
「白い、貫頭衣? あのちょっと変わった洋服着ててさあ、あの、背負い紐のついた、でっかい木箱のトランクっぽいの背負ってたから、きっと、あれ、ギンコさんだったと思うんだよな」
「おお。そりゃあ、確かにギンコのようだな」
うんうん、と満面の笑みで頷いて、化野は、半ば己に向かって呟いた。
「じゃあ、明日の夕には、こっちに着くかねえ」
「うーん、あの人、歩くの速いから―――やあ、ついでだから、ウチの船に乗ってかないかい?って声かけちゃろうと思ってたんだけど、船から荷物運んでる間に、もう、すっかり山ん中入って見えなくなっちゃっててさあ」
 網吉が、ちょっと申し訳なさそうに、そう言うので、化野は、笑って、
「海路の定期便なぞないからな、帰りの荷船に乗せて貰おう、という考え自体浮かばんだろう。それに、あの山を越えて来るなら、日の高いうちにとっとと行かないと、日の暮れる前に、あの中途の山小屋まで辿り着けんだろう。しかし、そうか。ならば――― 」
と、化野は、にこにこした。
じゃあ、やっぱり、明日の夕には、ここに着くに違いない。
 ついさっきまで、頭の中でぐるぐるととぐろを巻いていた想いは、すべて消えていた。
我ながら現金だ、と思うが、まず―――とりあえずは、ギンコを迎える準備をしておかなくては。
 手早く、薬草摘みを終えると、化野は、家に帰ってきた。
 採取してきた生葉の薬草を物干し台にひろげて乾燥させる。
大葉だけ、また、明日、ひと束分くらい、採ってくることにしよう。と、化野は考えた。
飯時には、いつも飯櫃に白飯があるから、刻んだ大葉と大根菜や何かを混ぜて、変わり菜飯にしてやろう。煮しめと、ごぼうの漬物もある筈だった。そうだ、こんな時こそ、「お和屋」のちょっと手をかけた肴の出前も頼めばいいじゃないか。
献立さえ決めておけば、万一、にわかに医家仕事が忙しくなっても、化野家の家事全般を頼んでいる隣家の母娘に用意して置いて貰うことが出来るだろう。
とは言え、時間があれば、自分で作る気満々の化野である。
いつだったか、風邪で寝込んでいる時に訪れたギンコに、豪快だが、意外といける「男の手料理」を食わせて貰ってから、化野も「男の手料理」の味と楽しさに目覚めたのだった。
が、化野が作るのは、ギンコが作ってくれたような野戦食のようなものではなく、薬膳に近いような健康食だ。己の味の好みを追求していったら、まあ、自然とそうなった、と言うか・・・
ともあれ、ギンコも、いつもきれいに平らげているのだから、嫌いな味ではない筈だった。和え物や煮物の類いだと、味付けの仕方を聞いてくることもある。
(この間は、にんにくと玉葱と一緒に、果実酢と醤油で煮込んだ鶏肉を、喜んで喰っていたっけかなあ―――?)
 が、あの果実酢は、この間で使いきってしまったしなあ。
などなど。
化野は、考えたのだった。

*          *          *

 翌日、午前の診療を終えた化野は、午後の往診に出るついでに―――と言うか、早速と言うか―――ギンコに食べさせてやりたい『ちょっと手をかけた肴』を頼みに、「お和屋」へと出かけて行った。
「おう、お徳さん」
「お和屋」のおかみに声をかけると、おかみは、豪快な腹を揺すって、
「おや、化野先生」
化野は、にこにこと
「今夜、人が来るんで、ちょっと手をかけた肴を頼みたいんだが・・・あと、手弁当に添えて土産に持たせてやれるような、何日か日持ちするような旨いものはないかね」
「したら、ウチの『晩酌膳』としじみの佃煮なんかどうですか?」
「おう、そうだなあ」
旬の魚に山菜、野菜も豊富に添えて味よく仕上げた「お和屋」の『晩酌膳』は、ギンコも化野も好みの、美味しくて栄養満点な品揃えの逸品だ。
「うむ。それを頼もうかな。ああ、二人分な」
 と言い加える。
「毎度ありぃ」
 と、元気よく言って、ふと、「お和屋」のおかみは、小首を傾げて、
「あれ? 今夜でいいんですか?」
「ああ。ん?―――何で、だ?」
 と問うと、おかみは、
「いえ、ねえ・・・ギンコさん、あっちの山ん中の里に呼ばれてったって、昼に、飛脚の米太が言ってたから」
「あ?」
 その里というのは、たぶん、網吉がギンコっぽい人を見かけたという山向こうの浜からここへ向かう途中の山間にある里のことだろう、と思われた。急ぎの蟲視仕事の依頼があって、時期的に、ギンコが一番、その里の近くにいるだろうと思われたから、その仕事がギンコに回されて来たのだろうか? 特に指名のない仕うめ事の場合、その裁量は、蟲師たちへの連絡手段を管理している『ウロ守』に一任されている。ギンコの『ウロさん』を管理しているのは、ここから山ひとつ向こうの『光脈筋』の山に住んでいる、綺という娘のウロ守で―――ギンコが、今時期、この近辺に来ているであろうことは、推して分かろうというものだった。あまり、事情が知れているというのも困ったものである。それとも、早足に、急いで山に入って行った、というその足取りの所以が、既に伝えられていた、急ぎの蟲師仕事の依頼先へ向かう為だったのだろうか?
 しかし、あそこの山郷には、ついこの間も、何やら蟲が悪さをしているのではないか?と依頼が来て、ギンコが呼ばれて行った筈だったが。
「今度は、何が出た、と言うんだね?」
 お徳さんは、何か聞いているのかい?
 とたずねると、おかみは頷いて、
「ほれ、こないだの蟲が。また出たんですと。だぁけど、また、ギンコさんが、すぐ来て、蟲払いやってくれるってことになったから、大丈夫だろうって話だったから―――けどぉ、蟲払いって、そんな、チョチョイで済むもんじゃないんでしょ?」
「うぅむ」
まあ、チョンで済んじまったこともあるが。
「だから、ギンコさん、こっちへ着くのは、予定よりか、ずっと遅くなるんじゃないかと思ってね。まあ・・・ねえ? 今夜は無理でしょうよ。作んの、明日にのばそっか、先生? そいで、『祝い膳』の二の膳みたいに、もう一日、二日日持ちするようなのとか、あと、牛の味付け薫肉とか、すぐ食べても、旅に持たせてやっても美味しいようなもの、こさえてくから」
「おう、そうして貰うか」
 生ものは、刺身でよしとして、ギンコがここに着いてから頼みに行くとしよう。遅くに着くようだったら、翌朝に、朝飯に食う用に頼めばいい。。
 それでも、一度対処した蟲の始末なら、そうはかからぬだろう、というのが化野は考えだった。たぶん、明日の夕餉の頃までには、ここに、辿り着けるだろう。と思い直すと、化野は、またウキウキしてきた。
 そうそう、めげてちゃいかん。恨みがましく『待っていたぞォ〜、蟲師』などと吟じて迫るよりも、昨日別れたばかりみたいに、「よう」とにっこり笑ってやるのがいい。
 ともかくも、ギンコは―――予定より遅れてはいるようだが―――早足で、ここへと向かっていたのだ。そう思えば、ふさぎの蟲のとぐろ蟲も、とりつくスキはない、というものだった。
 うむ、と己に頷いて、ふと、目の前の「お和屋」のおかみを見やると、おかみは、訳知り顔で、にこにこと化野を見つめていた。
「どうした? どこか、診て貰いたいところがあるのかね?」
 照れ隠しに、そう尋ねると、おかみは、さらに慈愛に満ちた目をして、にこにこと微笑みながら、
「いやあ、いい天気でよかったねえ、と思ってさ」
「おお、そうだな。向こうの山道は、雨が降ると、ぬかるむ所があるからなあ」
「川沿いの道は今、足場ぁ悪いところがあるから、気ぃつけろってよ」
「ああ。しかし、ギンコは、たぶん、薄が原の方へ出る山道を通ってくるだろうから、大丈夫だろう」
 薄が原の小道を突っ切れば、もう、すぐ化野の住み家だ。
「まあ、ぬかるんでおらんでも、足は汚れるんだろうがなあ」
「へぇえ。いっつも、足湯も用意しとくのかい、化野先生は?」
「いやいや。旅が棲家の旅烏だからな。他所の病をこの町に持ち込まんよう、ウチから何かを付けて出んよう、毎度、しっかり蓬湯に浸かって、全身きれいに洗って、清めて貰っている」
「あはは。そりゃあ、いいねえ」

*         *          

 翌日。
 今日も、医家の化野にとっては凪の、よい一日だった。
 午前の診療と、午後の往診を終えると、化野は、いつものように、全身きれいに洗って蓬湯に浸かり、こざっぱりとした藍の浴衣に着替えて、気楽な姿に身なりを整えた。
 風呂の蓬湯は、落とさずにあるので、まあ、一番風呂ではないが、ちょっと追い焚きをすれば、すぐに使わせてやれるようになっている。
 居間の隣りの、化野の寝室には、酔って、足元がおぼつかなくなっても、すぐに寝られるように、布団も敷いておいた。
 万一、到着が遅れても、味に遜色はおきないような、ちょっとした夕食の膳も準備が出来ていた。
 あとは、ギンコが来たら、「お和屋」に、例の『祝い膳』の二の膳を頼みに使いを出せばいい。
 そうやって、首を長くしていた化野のもとへ―――
「化野先生」
ひょっこりと、飛脚の米太が顔を出した。
文か、と思ったが、何も手にしてはいないようだ。
「どうした?」
「あっちの川んとこでさあ、ギンコさん、ずぶぬれになっちまってたの、俺、見てさあ」
「ああ? なんでまた!」
「子供が、どぶんと落ちて、川に流されてくのによう、あそこ、二親とも泳げねえのさ」
「じゃ、じゃあ、ともかく、風呂でも焚いておくか!」
「いやあ、助けた子の親たちやら、近所のもんやらにぐんぐん引っ張られてったから、あそこで入ってくるべさ。だから、こっち来んのは、明日になるんでないか、と俺、思ってさ」
「明日・・・」
 化野は、がっかりした。
 でも、溺れた子を助ける、だなんて重労働をしたギンコの体力の消耗を思えば、ちゃんと温まって、ちゃんとした食事を貰って、ちゃんと休んでから来た方がいいのに決まっている。
「あん人、いい人だよねえ、先生」
 にこにこと、米太にそう言われて、化野もうなずいた。
「明日来たら、こっちでも、ご馳走を食わせてやるか」
「うおっ。何食うの、先生んとこのご馳走って?」
「何だと思う?」
「うへへっ。【お和屋】のお徳さんに聞いてみよう、っと」
 けたけたと笑いながら、米太は元来た道へと走って行った。
 やれやれ。
 そうか。お徳さんが、また米太の話を聞いて、こっちへも知らせに寄越してくれたのかも知れない。いや、米太も知っているのか?
(うーん。何だか、顔が熱いな・・・もう、秋なんだが)
 ちょこっと噂しに寄りに来てくれた米太を見送りながら、化野は考えた。
 本当に、あまり事情を知られている、というのも―――知りたい情報が入りやすくなって便利な面もあるが―――困ったモンでもある。
(まあ、俺は俺で、精のつくものでも用意してやって、待ってるか)
 精のつく、という自分のセリフの一部を反芻して、また、かあぁっと顔が熱くなる。
だが、まあ、いいじゃないか。恋仲、なんだから。

*          *          *

 その夜、遅く。
 珍しく、夜更けに、これまた、珍しく、こざっぱりときれいななりをしたギンコが、化野家の玄関口に現れた。
「おう、早かったな」
「あ?」
 化野の言葉を不思議がりながらも、とりあえず、ギンコは挨拶をした。
「よう」
「いろいろ大変だったらしいな」
「あー・・・知ってんのか?」
「お前は、いい人だってな」
「ああ〜」
 ギンコは、ぼりぼりとうなじを掻いた。
「いやいや。努力してんだがな。なんでか、こう、俺の前で事が起きるっていうのか――― 」
「お疲れさん」
 と化野は、ギンコを労った。
「飯・風呂・寝る。どれも、用意してあるぞ。どれにする?」
化野がそう問うと、ギンコは、にやっと笑って、
「寝る」
 とこたえたのだった。







11/11/06
  




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