文 : JIN


『告ぐかおり』






その竹筒は、不思議な匂いがした。
知り合いの古物商が、なかなか手に入らなかった品物をやっとこさ入手し、お得意さんである化野に特別にと持ってきてくれた品だ。早い話が化野が真っ先に飛びついて高額で買ってくれそうだからだろうが、物は言いようだ。
実際化野もそんなことを言われて悪い気がしなかった。だからほいほい買ってしまったのだ、後先のことを考えずに。
古物商が上機嫌で帰って行き、それを見送ってからいそいそと竹筒の前に座る。なんとも言えない香りだ、上等な酒のように芳醇で濃厚な香り。しかし外見を見ても竹は節から節までびっちりとあり、どこにも開ける場所がない。
「仕方ない、開けてみるか」
もったいないが、好奇心が勝ってしまい、化野は竹に小さな穴を開けた。慎重に針の先が通るくらいの穴を開け、それから息を吸い込む。なるほど、穴を開けたせいで香りが強くなった。今にも酔ってしまいそうな香りに、これまた好奇心で穴の中を覗き込んだ。
真っ暗の中に、小さな明かりがぽつ、と見えた。なんだろう、と思って見ていたら、一気に無数の明かりが現れて広がり、そして。
化野は意識を失った。



ギンコが久々に帰ってきた。里の中を歩き、里人に挨拶をしながら目的の家を目指す。数ヶ月ぶりに会う恋人は、さぞかし喜んでくれるだろう。土産も持ってきたし、香も煙草もたくさん用意してきたから、いつもより長く滞在するつもりだ。
いつものように縁側から上がり込むと、家の奥に声をかけて木箱を下ろし、靴を脱ぎ始める。ふと、背後で声がした。
「そんなところで靴を脱ぐな」
「え…」
振り返ると化野がいた、だがなぜだか雰囲気が違う。靴を奪い取られて、木箱も取られて、靴は玄関の土間に、木箱は部屋の隅にきちんと置かれた。その間声をかけることができず、ギンコは彼が動くのを見ていた。正座し、茶を淹れてくれたが会話はない、ただ火鉢に入れた炭がぱち、とときどき音を立てるだけ。
「あ、そうだ。土産……」
隅にやられた木箱から包を取り出して見せるが、礼を一言言っただけで開けようともしない。いつもならこれはどこで手に入れたとかどういうものだとかしつこく聞いてくるのに、それすらもない。
「最近何か変わったことはなかったか」
「別に何も。それよりお前、これからは玄関から入ってこい。迷惑だ」
あまりの変わりっぷりにはぁ、という曖昧な返事しかできず、これは埒があかんと家を出る。家の中を探索することも考えたが、先に情報収集を優先した。――――――――というか家の中の空気に耐えられなかった。
そもそもあの化野が帰ってきてからギンコに触れない、見もしないということ事態おかしいのである。とりあえず隣人に聞けば、いやぁ、それがねと言って話してくれた。
数日前、返事がないので里人が家に上がると化野は部屋の中で倒れていたらしい。目を覚ますと別人のようで、前なら子どもとも遊んでくれたのに、子どもはうるさいからと出入り禁止にしたほどだ。魚を持っていってやっても嬉しくもなさそうにもらい、仕事仕事で取り付く島もない。
黙々と仕事をするのはいいが、それ以外は興味がないらしい。里人が家に来れば邪魔だと追い返す始末。以前とまったく別人になってしまったかのようだった。
「倒れていたとき、そばに何かなかったか」
「ああ、なんか竹筒があったらしいけど」
「わかった」
家に戻ると竹筒の在り処を聞き、蔵にしまったと言うので明かりを持って蔵の中を探す。中のガラクタはときどき出しては虫干しをしているようだが、それでも埃っぽい中を探すのは苦労する。やっと見つけて手に取ると香りが気になったが、それよりも穴が空いていることに、思わずやっぱりかいとツッコミを入れてしまう。
木箱を漁り、巻物を出して広げて読む。部屋を綺麗に整頓している化野が、散らかすなと怒るかと思ったが何も言わなかった。向こうも薬草を調べているらしく、こちらを気にしていないようだった。
以前から仕事に対しては真面目に取り組んでいた男だ、しかし大切にしているものも多く、それが強く人柄に出ていた。人が好きで子どもたちが忍び込んできても文句も言わず、逆に率先して遊んでやるタイプだ。里人が来れば茶と菓子を出し、親身になって話を聞くので慕われ、集会所のようになっている。
それが他人をまったく寄せ付けない、化野でない化野だったので、すぐにギンコは蟲が関わっていると判断した。



普段、抱かれている時も言葉にしたことはない。
抱かれてやってるんだからそれで察しろということなのだが、彼がいつもやかましく言うのでまぁいいかと考えている節があった。
しかしここへ来てからもう一週間ほど経つのに、言わず触れず興味がない顔をされればさすがに心臓に少々毛が生えているギンコも、落ち込むのは当然だろう。
必要なものは揃った、特殊な香を焚き、要るものも揃えて準備は万端なのだがひとつ、困ったことが。
それは巻物に書かれていた最後の必要なもの。
目の前で背筋を伸ばして座る黒髪の男を、竹筒を握り見下ろして、ギンコは聞いてみる。

「お前、好きな人間はいんのか」
「おらんな、以前はお前が好きだったが」
「そうだろうな」

こうもはっきり言われるときついものがある。終わったら出て行ってやるよと言って、膝を立てて前に座ると、竹筒の穴を覗くように言った。素直に覗いて何もないぞと文句を垂れる男に、いいから見てろと言って息を吸い込む。
「化野」
「なんだ」
穴の中を見ている化野が返事をする、思いも何もこもっていないただの返答は、ギンコの胸にちくりと針を突き刺す。
それでも今までもらった思いは数多く、おそらくギンコが生きようと思う切欠にもなっているはずだ。確かに影響を与えてくれた思いだ。

「好きだ」

びく、と体が震えた、今なんて、と問い返そうとしたが不思議と竹筒の中の闇から目が離せなかった。やがて目の中がちかちかと光り、夜空に瞬く星のようだと化野は思った。それらが目の中をざぁ、と移動して視界が真っ白になる。闇が光で一瞬に塗り替えられ、竹筒の中に吸い込まれてやがては消えた。
ばた、と化野が畳に倒れるのを見ながら、ギンコは竹筒の穴に札を貼って塞ぐ。これでもう悪さはしないだろう、これは見た者の心に違う人格を送り込む蟲だった。いや、正確に言えば見たものは人格が変わってしまうだけだ。甘い香りがするが、これはこの蟲がそういうものであるだけで、蟲側は意図して誘惑しているわけではない。
自らに必要な酒を作っていたら、周りがそれに誘われて来てしまうだけなのだ。蟲は酒を奪われないように竹筒の中を見たものに、少しばかり暗示をかける。それは酒を飲まなくさせる暗示であるが、性格を変えるものでもあった。だから化野は別人のようになったのだ。
もう一度覗いて暗示を解けば元に戻る、はず、だ。それには本人を驚かす必要があったので、あんなことを口走ったのだが。我ながら恥ずかしいことをしたものだ。普段言わないからバチでも当たったのかも知れない。
さてと、とギンコは竹筒を持って立ち上がろうとした。約束どおり家を出ようとしたのだ。この蟲の暗示が解けたなら、化野はほっといても大丈夫だろうから。
「っ…」
服の裾を掴まれていて、驚く。寝ながらもしっかりと掴んで離さないところが、さすがというべきか、なんというか。
「ギンコ…」
ご丁寧に寝言で名を呼ぶものだから、ギンコはその一言でその場に座り込んだ。振り払うだけの気力はない、さっき口にしたことは本心だったからだ。それほど想っている男の手を振り払ってまで、この家を出ていきたいはずがなかった。




目が覚めてからの化野は、かいがいしくギンコの世話をした。風呂を沸かし、飯を作り、酒を勧めて、最初の日に渡された土産を持ってきて根掘り葉掘り聞いてくる。あまりにも献身的なので試しに聞いてみると、悪かったと詫びた。どうやら記憶はあるらしい。
「あのときは全てがどうでもいいと思ったんだ」
収集しているお宝(ギンコにとってはガラクタ)や、里人のこと、ギンコのこと。なおも謝る男のそばで煙草に火をつけて、辺りに寄ってきている蟲を散らし、そうだなぁとつぶやく。
「いつもお前のことばかり考えていたのになぁ。次に来た時に、あれをしてもらおう、これをしてもらおうとか」
「あれとかこれってなんだ……てか、いい。聞きたくない」
「なんでだ、聞いてくれてもいいだろう」
口を尖らしてすねたように言う仕草は、すっかり元の化野だ。聞きたくねぇ、ともう一度断って、ギンコは息を吐く。ようやく慣れ親しんだ彼に戻り、家の空気も居心地のよいものに変わった。縁側で寝転べば、行儀が悪いなんて言われずに風邪を引くぞと、着物をかけられるのだ。
「聞くのが嫌なら言うのならいいだろう」
「あ?」
微睡みながら答えれば、照れ笑いのように化野がはにかむ。
「もう一度言ってくれ」
それは驚かすために言った言葉のことだ、わかったがギンコは聞こえないフリをする。残念そうな声を上げられたが、そう何度も言ってられるかと心の中で悪態をつく。
化野は竹筒の酒には手を出さず、ときどき匂いだけ楽しむことにしたらしい。



蟲の蓄えには手を出さない。その代わり、お前には手を出すぞ、とどこぞのオヤジのような台詞を吐かれたが、そのつもりだったので返答はしなかった。
おそらくそれは、さっき口にしたことと同じだと化野にもわかったはずだ。










JINさんからの一言

本編の竹筒を使って何か書こうと試みました。
どないでしょうか。


って! 冷たい態度の先生に、
物凄く萌えた惑でした(^///^)


13/02/02